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大阪万博の象。漂着したクジラ。何でもありの宣伝戦略

 サウナ界の名家・米田家の血筋を継ぐ“サウナ界の革命児”こと名古屋・ウェルビーの米田行孝がゴッドファーザーなら、その従兄弟であり格式と伝統を守り続ける神戸サウナ&スパ社長の米田篤史は、“サウナ界のプリンス”と呼ぶのがふさわしい。サウナ界のプリンスの人生もまた、波瀾万蒸だった…。

米田篤史社長

「実は神戸サウナ創業時にはこんな話があるんです。小さい頃から創業者であるおじいちゃんと同じ敷地内に住んでいたのですが、彼は24時間、365日仕事をしているようなタイプでとても豪快な人でした。

 1970年の大阪万博の時に、タイから神戸港に象さんが到着し、2頭の赤ちゃんが産まれました。そのうち2頭が売りに出されて1頭を祖父が買い取ってうちにやってきた。祖父は動物好きでしたが、同時にお店の宣伝のための話題作りということを思いついたみたいで。それで新神戸の自宅から今の神戸サウナまで、象さんとともに、トコトコトコトコ歩いて。そうするとやっぱりマスコミが注目してわんさか来るわけですよ。当時はまだ創業間もない頃ですので、宣伝広告費なんてほぼないですから。そういう話題を作ってお店を知ってもらおうとしていたんだと思います。ちなみにその象は家の庭で飼っていました。

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 あと祖父がたまたまテレビを観ていた時に、和歌山の浜にクジラが数十頭が打ちあがったとうニュースを観たそうなんです。それで会社にすぐ電話して、「その1頭を買うなりもらうなりして連れてこい!」ということで、大きなトラックの荷台に氷を山積みにして、クジラを持ってきてお店の前に置いたら、それまたマスコミが沢山来て。それで人だかりができて。数日後にさばいて、みんなにふるまい“ふるまいクジラ”をしたら、今度は保健所が怒ってきて。それがまたニュースになって(笑)。『クジラで2回も話題が提供できた』といって、おじいちゃんは喜んでいたみたいですけれども。時代が時代ですから(笑)」

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 今でいったら“炎上マーケティング”が妥当な表現だろう。

 戦後復興期に一代でサウナ事業を軌道に乗せ大成功した、実業家の祖父のレジェンドはいつ聞いても鳥肌が立つ。神戸サウナ社長の米田篤史と話していると、そんな豪傑である祖父とはある対極な繊細な印象を受ける。