ロウリュサービス。もはやサウナになくてはならないこの作法を最初に日本に持ち込み、サービスとして提供した施設、それが今回ご紹介する関西サウナ史の生き証人ニュージャパン。そのオーナーであり日本サウナ・スパ協会の会長である中野憲一の人生もまた、波乱万蒸だった。

梅田店2Fの大浴場
梅田店2Fの大浴場
会長の中野憲一氏

世界初のカプセルホテルをオープン

「当時はサラリーマンの残業が当たり前の時代。深夜まで仕事をして、サウナに泊まる人が多かったんですよね。だからサウナに仮眠室を設けて雑魚寝スペースを作ったんですよ。でもそのスペースさえも溢れてきて。これやったらもっと快適で、安い宿泊施設を作ったらええんちゃうかと。東京の新橋に山小屋によくある二段ベッドが1部屋にずらっと並んでいる仮眠室がある施設があったそうなんですけど、それを見た当時の役員と社長である父が参考にして、黒川紀章さんの事務所に設計をお願いしたんです」

 国立新美術館をはじめ、名だたる建築物を手掛けてきた日本が誇る建築家、黒川紀章(1934~2007)。

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 1970年には大阪万博で「住宅カプセル」を発表。宇宙船のコックピットのような近未来的な空間で話題を呼んだ。1972年には実際に、その画期的なカプセルを有機的に積み上げた中銀カプセルタワービルが銀座に誕生。

 その流れを受け、ニュージャパンは『カプセル・イン大阪』を1979年に誕生させる。世界初のカプセルホテルが誕生した瞬間だった。

世界初のカプセルホテルオープンのポスター