上田さんは短大を卒業し、20歳で慈恵病院に就職した。現在は慈恵病院の「台所」を率いる栄養室長だ。農業県熊本の新鮮な食材をバランスよく使ったカラフルで豪華な食事は、患者の入院生活を彩る。2016年の熊本地震をきっかけに始めたこども食堂の責任者でもある。
「理事長先生は患者さんに食べてもらう料理を味見するような感覚で厳しく採点されていました。いつも患者さんのためにとおっしゃる先生でした」
管理栄養士の国家試験に2年連続で落ちたときは、「今度落ちたら、もう辞めてもらうからね」と厳しく叱られた。だが翌年無事に合格すると、熊本一の高級ステーキレストランで祝ってくれた。上田さんの結婚が決まると「僕が品定めしてあげるから連れてきなさい」と言い、婚約者を交えて焼き鳥屋で一緒に飲んだ。
「家族のことまで気にかけてくれる理事長先生でした」
職員たちが懐かしむ蓮田氏の優しさ
蓮田氏が示したちょっとした優しさを職員は口々に懐かしんだ。
ある女性職員は子どもが小さいため病院の慰安旅行に行くのをためらっていたところ、蓮田氏に「連れてきなさい」と言われ、思い切って同伴した。旅先では大はしゃぎの子どもが蓮田氏と一緒にピースサインでカメラに収まった。
亡くなる数日前に蓮田氏から電話がかかってきたと言うのはベテランナースだ。
「ずいぶんと顔を見てないねえ」「また会おうねえ」と電話越しに蓮田氏は声をかけると、ほんの2分ほどで電話は切れた。
「コロナで先生とは全然お会いしてなかったんですよねえ。そしたらお電話いただいて。ほんとですねえ、お会いしたいですねえ、とお話ししたのに。もういらっしゃらないなんて、信じられない感じです」
だが激しい一面もあった。「怒ると感情的なほどに激しかった」と健氏は振り返る。「目を三角にして怒られた」という職員もいた。
「でも、怒ったあと相手にすまないという気持ちになるのか、必ずフォローもしたようです。そのためか、父を愛情深いと感じる職員や患者さんは多い。そうした人たちに応援団のように支えられて、ゆりかごを進めてこられたのだと思います」(健氏)