「宮崎さん側からお金をもらって供述を変えたことはない」
「『なんで捕まっちゃったんだろう』って泣いてました。私が『事実はどうなの?』と聞くと、娘は『私のせいでこうなってしまった』と自分を責めていました。あの夜、宮崎さんが娘との口論の末にホテルの部屋を出て行ってしまった。ホテルに戻ってくる前に、飲食店に駆け付けた警察の方から、『このまま帰って何か心配なことがあったら、連絡くださいね』と言われていたそうです。菜月は宮崎さんのマネジャーさんやお姉さんの連絡先もわからないので、警察の方に電話して捜してもらおうと思っただけだったようです。そしたら逮捕という大事になってしまって。『このことで宮崎さんの人生が台無しになってしまったらどうすればいいのか……』、娘はそう心配していました。ネットでは菜月が本当は暴力を受けたのに、宮崎さん側からお金をもらって、供述を変えたんだろうといった、ひどい書き込みもあるようですが、そんなこと一切ありません」
小顔でモデルのようなスタイルの深瀬は秋田市内で生まれ育った。幼いころに見た新体操のレオタード姿や華麗な演技に心奪われ、6歳で地元の新体操クラブの門をたたいたという。
「3歳からジャズダンスを始めて、その頃から踊ることが大好きだった。恥ずかしがり屋で、外ではどうしてもあがってしまうので、家でお母さんと自分の名前をちゃんと言えるようになるところから練習を始めた。演技でボールを落としてしまうことが多く、自宅では利き腕とは違う左手で箸を使ったりしながら、その弱点を克服したそうです。体形維持のために1日10時間以上の練習後もサラダを食べるだけの食生活が中心で、毎日すべてを新体操に捧げる生活だったそうです」(スポーツ紙記者)
結婚に憧れ、長く付き合ったダンサーの彼氏がいた
中学2年生だった08年に県大会で1位に輝き、翌年には日本代表に選出。中学を卒業後は秋田を離れ、神奈川県にある光明学園相模原高校に進学した。
「高校入学後、減量がうまくいかず、スランプに陥ると深瀬からお母さんへ泣いて電話がかかってくることもあったそうです。心配するお母さんは何度も秋田と神奈川を往復した。その甲斐あって、2012年、高校3年生の時に小さい頃からの夢だったロンドン五輪に出場しました。地元・秋田ではパブリックビューイングが開かれ、地元の応援団がみんなで声援を送っていました。結果は団体で7位入賞を果たし、親子二人三脚で掴んだ入賞だと本人も喜んでいました」(同前)
だが、ロンドン五輪後、彼女は燃え尽き症候群のような状態に。リオ五輪を目指して団体から個人種目に転向したが、思うような結果が出せず、いつしか表舞台から姿を消した。
「6歳から人生を新体操に捧げてきた彼女は、ロンドン五輪出場後に新しい目標を見つけられなくなってしまったようでした。表舞台から去ったあと、一時期は売店で働いたりもしたけど、長くは続かなかった。恋愛経験も少なく、結婚に憧れていて、長く付き合ったダンサーの彼もいました。そんな中、2年ほど前にアスリート同士が集まる合コンで出会ったのが宮崎さんでした。宮崎さんが菜月に猛アタックしていて、みんな『彼は既婚者だから』と止めていたのですが、結局交際をスタートさせたのです」(深瀬の友人)
今年8月、「FLASH」(9月8日号) が宮崎と深瀬の「同棲不倫」を報じたときには、宮崎は5年以上前から家族とは別居中で、昨年から離婚調停中と書かれていた。深瀬の母は妻子持ちの宮崎に対する複雑な胸中を覗かせた。