文春オンライン

連載昭和事件史

「もう事件を追及しないでください」骨膜まで顔を切りつけられた美男子スターが捜査ストップを懇願した理由

――1937年の「林長二郎顔切り事件」  #2

2020/11/08

「黒幕」永田雅一とは何者なのか

林長二郎。デビュー当時か(「日本映画美男俳優 戦前篇」より)

 新興キネマとは1931年、業績不振の「帝国キネマ」に松竹が資本を投入して設立した映画会社。「帝キネ、松竹に併呑さる」(「日本映画発達史2」)というのが実態だった。長二郎の東宝移籍のいきさつから、松竹の報復がうわさされていたから、当時は多くの人が「やはり」と受け止めたことは間違いない。

 永田は京都生まれで、十代の時から日活撮影所で下働き。労働争議を逆手にとってのし上がった。製作部長などを務め、松竹などからのスター引き抜きで名を馳せた。日活を飛び出して「第一映画社」を創立。それも約1年で解散し、事件前年の1936年9月、新興キネマ京都撮影所長に就任。事件当時はまだ満31歳だった。

 事件の核心は、ベタ記事だが、11月29日付東朝朝刊の「永田氏が 黒幕 長二郎斬事件」に書かれている通りのようだ。

ADVERTISEMENT

「【京都電話】東宝京都撮影所スター林長二郎の顔切り事件犯人、朝鮮慶尚北道生まれ、住所不定、中島こと金成漢(24)の背後関係者として、京都市上京区鷹野北町生まれ、増田三郎(32)、同右京区帷子辻、笹井栄次郎(41)を引致。さらに、さる25日には既報のごとく、新興キネマ会社取締役兼京都撮影所長・永田雅一氏(33)らを教唆犯容疑者として留置し、厳重追及に努めた結果、28日夜に至り、黒幕は永田新興京都撮影所長であることが判明した。すなわち、増田は10月下旬、笹井の教唆により新興撮影所を訪れ、永田所長に面会し、長二郎問題につき『それでは私が何とかしましょう」と引き受け、出入りの金を連日、太秦の東宝撮影所前に張り込ませ、12日夜、金に顔切りを決行させたもので、増田は14日ごろ永田に会い、同人から金50円を受け取り、うち10円と(タバコのゴールデン)バット100個を犯人金に渡したものである。当局は増田は共犯、永田、笹井は教唆犯容疑者として近く送局(予審入り)」

 当時の50円は2017年換算で約9万3000円、10円は約1万9000円になる。