文春オンライン

連載昭和事件史

「もう事件を追及しないでください」骨膜まで顔を切りつけられた美男子スターが捜査ストップを懇願した理由

――1937年の「林長二郎顔切り事件」  #2

2020/11/08
note

銃後の国民生活をかき乱す出来事

1970年の長谷川一夫(林長二郎) ©️文藝春秋

 しかし、「日本映画発達史2」は口を極めて事件を非難している。

「これは恐るべき非人道的な悪逆無道な暴力行為であった。映画界にこのような暴力行為が行われていること自体は、何としても徹底的に究明し、解決されねばならなかった。文化事業を名とする映画の世界に、このような行為の横行が許されていいものかどうか。映画界に蟠踞(ばんきょ=根を張って居座る)する、あらゆる封建的、物質的悪の凝結が、長二郎の犠牲において暴露されたとみなければならない」

 しかし、事態はそうした論理を許す時代ではなくなっていた。事件を報じる新聞の同じ紙面には「戦友の屍(しかばね)背負うて “仇は俺が”の突撃」「血達磨(ダルマ)宛(さなが)らに― 壮烈肉弾十一勇士」「国民よ、覚悟せよ 戰ひ(戦い)はこれからだ!」など、戦場報道の勇ましい活字が躍っている。

ADVERTISEMENT

 近衛文麿内閣がとなえた「国民精神総動員」が映画界にも波及。映画の冒頭に「挙国一致」「銃後を護れ」のタイトルが入るようになった。事件直前の11月7日には、京都で「国民精神総動員映画人大会」が開かれ、約2800人が平安神宮に参拝して戦勝を祈願した。「映画報国」が合言葉になっただけでなく、芸能人の出征、戦死も相次いだ。

 そんなさなかに、長年恩を受けた映画会社から他社へ転属することはどう受け止められたのか。さらには、その報復のような傷害事件は、銃後の国民生活をかき乱す出来事だと政府・軍部は受け止めたはずだ。

 11月1日付京都日日朝刊には内務省警保局検閲当局の次のような談話が載っている。「国家総動員の際に、映画界がこうした引き抜きに憂き身をやつすとは、他の産業方面からますます軽蔑される原因になるだろう」。事件の2年後には映画法が施行され、映画に対する国家統制がさらに強まっていく。

【参考図書】
▽長谷川一夫「舞台・銀幕六十年」 日本経済新聞社 1973年
▽長谷川一夫「私の二十年」 中央社 1948年
▽「キネマ旬報社増刊号 日本映画俳優全集・男優編」 キネマ旬報社 1979年
▽鴨下真一「昭和芸能史傑物列伝」 文春新書 2013年
▽田中純一郎「日本映画発達史Ⅱ無声からトーキーへ」 中公文庫 1976年
▽矢野誠一「二枚目の疵」 文藝春秋 2004年
▽柏木隆法「千本組始末記」 海燕書房 1992年
▽鈴木晰也「ラッパと呼ばれた男」 キネマ旬報社 1990年
▽マキノ雅弘「マキノ雅弘自伝 映画渡世・天の巻」 平凡社 1977年
▽林成年「父・長谷川一夫の大いなる遺産」 講談社 1985年
▽石割平「日本映画美男俳優 戦前篇」 ワイズ出版 2014年
▽「長谷川一夫画譜」 長谷川一夫の会 1958年
▽「別冊1億人の昭和史 昭和史事典」毎日新聞社 1980年

「もう事件を追及しないでください」骨膜まで顔を切りつけられた美男子スターが捜査ストップを懇願した理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー