1ページ目から読む
5/6ページ目

警察に事件を「深く追及しない」よう申し入れた長谷川

 長谷川一夫は「舞台・銀幕六十年」で事件の「犯人」に触れている。

 私を切った犯人は4日目に太秦警察署員に逮捕されました。犯人は金成漢という当時23歳の朝鮮人でした。この男は最近まで健在だったそうですが、その後の消息は知りません。しかし、金はあくまで単なる下手人です。では、一体誰が金成漢をそそのかしてこのような事件を起こしたか、ということになりますが、私は周囲の者とも相談して、深く追及しないことにして、警察にもその旨を申し入れました。一部のファンの方々は、それでは自分が悪いということを認めたことになるから、断固訴訟を起こすべきだという強硬論もありました。また、調書をとりにきた警察の人にも「長谷川さん、この際、徹底的に戦って背後関係を追及しますか」と言われましたが、追及したところで私の傷が元へ戻るわけでもなく、背後関係は追及しないように申し入れました。私としては、この災難によって大きな試練を受けたのだから、これが他山の石となって、もう再び映画界にこのような事件は起こらないだろうから、それで満足だと思う一方、真犯人は当時の日本の前近代性それ自身で、だれかれということではないという考えに到達したわけです

『週刊文春』に戦後連載された「私はこれになりたかった」では警察署長の姿になった長谷川(林) ©️文藝春秋

 ある部分は当たっているものの、現実には非常に日本的な解決の仕方といえるだろう。「二枚目の疵」は「事件後、金の家族がいじめに遭っている話を耳にした長谷川一夫は、金の服役中、いくばくかの見舞金を金の家族に贈っている」と書いている。

 確かに、これからも芸能界で生きていこうと思えば、「事を荒立てることは得策ではない」という考えも出てくるだろう。「日本映画俳優全集・男優編」にあるように「この暴力行為によって、彼に対する世間の非難はピタリとやみ」騒動に終止符が打たれたことは確かだ。永田雅一には2冊の自伝的著作があるが、この事件に関しては一切語っていない。

ADVERTISEMENT

長谷川一夫の訃報。「顔切り事件」にも触れている(東京朝日)

 長谷川一夫が死亡したのは1984年4月。「映画に舞台に世紀の二枚目」が見出しの東朝の死亡記事は「顔切り事件」に触れ、評伝記事では、事件後、「左頬の傷を隠すため、化粧前に最大1時間かけて下塗りをする」と語っていたことが書かれている。