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連載昭和事件史

「もう事件を追及しないでください」骨膜まで顔を切りつけられた美男子スターが捜査ストップを懇願した理由

――1937年の「林長二郎顔切り事件」  #2

2020/11/08
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 1937年11月14日付朝刊で東朝は「長二郎の経過良好」「犯人検挙は一両日中」と記述。京都日出は「面會(会)謝絶の病室に 長二郎眠り續(続)く」の本記の脇に「(犯人の)目星はついた」とする太秦署刑事部長の談話を載せている。

「長二郎斬りの犯人捕はる」

 そして11月17日付朝刊。東朝は「長二郎斬りの 犯人捕は(わ)る」の見出しでこう書いた。「【京都電話】さる12日夕、東宝の林長二郎丈(30)に切りつけた犯人は朝鮮慶尚北道生まれ、元自動車運転手・中島こと金成漢(24)と判明。16日夜、京都市東山区山科音羽牛尾山中、工事場の小屋に潜伏中を太秦署が逮捕した」。

 当時は失職中で、知人の東宝京都撮影所照明係を通じて就職活動を続けていたが、12日も撮影所付近をぶらぶらしていた際、長二郎がスタジオから現れたので「何気なしに切りつけたものである」と書いた。

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 一方、読売は動機について「最近は某拳闘クラブなどに出入りしていたが、長二郎丈が松竹を蹴って東宝に入社したことに憤慨。撮影所からの帰途を待ち伏せ、剃刀を振るって殺陣を演じた旨自白したが、背後関係を追及している」とした。

 京都日出は、華やかなスター生活をねたんでと称しているとしつつ「動機、背後関係には相当複雑なものがあるらしいので、慎重に取り調べを進めている」と述べている。

「永田雅一召喚、留置さる」と急展開(京都日出新聞)

 さらに11月26日付朝刊。京都日出は社会面トップで「永田新興京都撮影所長 突如召喚、留置さる 長二郎斬りに關(関)係か」と報じた。

 記事は、金成漢について「犯行前からルンペン同様の身でありながら小銭を持っていた点及び、長二郎の『源九郎義経』の撮影の日と帰宅の時間を、かつて運転手時代、助手をしていた関係の友人、東宝京都撮影所照明係、湯川某に尋ねた点」などから「背後に糸を引くものありとみて」捜査。「24日午後に至り、大体事件の全容明白となったもののごとく、25日正午ごろ、新興キネマ常務取締役、同京都撮影所長・永田雅一氏(32)を左京区下鴨宮崎町の自宅から引致し、地階刑事室において長時間にわたる厳重なる取り調べを行った後、同夜は下鴨署に身柄を留置した。永田氏の取り調べにより、同事件は意外なる発展が予想されるに至った」とした。

 東朝もベタ記事だが「新興永田氏留置」の見出しで「重要参考人として(25日朝から)午後6時すぎまで、十数時間ぶっ通しで取り調べられ」と伝えた。