SDGsへの関心が高まり、多くの企業でプラスチックの削減が目指されている昨今。大手飲食チェーンの一部ではプラスチック製ストローの廃止が進められている。その動きに呼応したのはなんと住宅メーカー「アキュラホーム」だった。開発に立ち上がったのは広報担当の女性社員。
彼女はいかにして木のストロー開発を成功に導くことができたのか。著書『木のストロー』より、当時の困難を振り返りながら紹介する。
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ストローを朝まで検品した日
その連絡がきたのは、シンポジウムの2週間ほど前の土曜日のことだった。
実はこのときまで、自社制作がうまくできなかったら、共同開発したメーカーさんから購入しようと思っていた。
ところがその日、「お互いでつくると決めたのですから、やはりそれぞれでつくっていきましょう」という内容のご連絡をいただいた。今思えば、当然のことなのだが、そのときは、青天の霹靂だった。
何が何でも、うちでつくらなければならない。失敗は絶対にできない。でも始めたばかりで、シルバー人材の方たちがどこまでできるか、まったく確認できていなかった。
私はその日、ちょうどやらなければいけない仕事があって、新宿の本社に出社していた。滝川役員に「購入が難しくなった」と連絡をすると、
「今すぐ、物流センターに行くぞ!」
声が緊迫していた。
「車で迎えにいくから、仕事は別の社員に引き継ぎをして待機しているように」
そう指示を受け、大急ぎで荷物をまとめると、本当にすぐ滝川役員がやってきた。
新宿から埼玉の物流センターまでは車を飛ばして1時間以上。出発したのは夕方で、着いたときには、すでに夜6時頃になっていた。物流センターでは、ストローの製造を担当している同期の野村さんが待っていた。
仕上がりへの絶望
すでにできあがっていたストロー300本を前に、私は絶句した。
スライス材が浮いていたり、両端がまっすぐ切断できていないから、ノリがはみ出していたり、あるいは逆に少なくて、ふにゃふにゃだったり……。つまり、納品できるような状態のものが、1本もなさそうだった。
茫然としながら、同時に、やっぱり難しいのかなあと思った。竹田さんや山﨑さんとつくっていたときは、みんな熱意を持って、必死でやっていた。「空気が入らないようしっかり止めよう」「ミリ単位でサイズを合わせてきっちり切ろう」といったことを口にしなくても、そういうものができていた。クレコ・ラボさんも、製品としてきちんとしたものを納めてくださっていた。