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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「あいつは弱いものいじめばかり…」北九州監禁連続殺人事件の松永太はどのような幼少期を過ごしていたか

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #34

2020/11/17

genre : ニュース, 社会

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「屁理屈を先生に持ちかけて授業をかきまわしていた」

 事件発覚後から現在に亘って、私は複数の松永の同級生に接触した。松永と小中学校の同級生だったAさんは語る。

「彼は小学校の途中で転校してきたんですよ。小学校時代に学級委員とかはやってないです。ほとんど帰宅部みたいな感じでした。学校内でのイメージとしては、影は薄かったです。田舎の小学校だから、人見知りというのもあるし、彼はよそから来たというのもあるし。(松永の自宅がある地区は)学校の校区のなかでは端の方にあるんですね。そこから来てたのは男女を含めて3人しかいないんですよ。一方で学校の近くの子たちは、10人くらいがまとめて登校していましたから」

 中学時代の活動についても尋ねたが、以下の回答だった。

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「(弁論大会での優勝について)私の記憶にはないですね。あと、クラスのリーダー的存在ということはありません。それは嘘です。

 部活については、私もバレー部だったので、一緒にやっていました。松永がキャプテンだったのは事実ですけど、結局、本人が強く望むからキャプテンにしたって感じなんです。弁が立つし、小学校のときにくらべて、表向きの強さを徐々に発揮してきたということもあったんで、じゃあ、任せるわって感じで……。でも、彼はレギュラーじゃなかったんです。というのも、チームプレーができないから。運動神経が良さそうでいて、そうでもなかったんですよね。バレー部って、3年生が7人とか、人数はギリギリだったんです。それでもレギュラーの6人にはなれませんでした」

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 

 Aさんには中学時代の松永について、記憶に残っていることがあるという。

「僕の記憶だと、先生に対して1足す1がなんで2になるのかとか、概念的なことを言う子でしたね。そういう屁理屈を先生に持ちかけて授業をかきまわすから、まわりはついていけないという感じでした」

 授業をかきまわすとはいえ、不良という感じではなかったそうだ。

「そこらへんは高校からじゃないですか。当時は上には上がいたからですね。下がいくらイキがっていても、上には上がいますから。彼は一匹狼じゃないですか。あだ名とかはなかったです。太とかそういう感じです」