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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2020/11/17

genre : ニュース, 社会

「屁理屈を先生に持ちかけて授業をかきまわしていた」

 事件発覚後から現在に亘って、私は複数の松永の同級生に接触した。松永と小中学校の同級生だったAさんは語る。

「彼は小学校の途中で転校してきたんですよ。小学校時代に学級委員とかはやってないです。ほとんど帰宅部みたいな感じでした。学校内でのイメージとしては、影は薄かったです。田舎の小学校だから、人見知りというのもあるし、彼はよそから来たというのもあるし。(松永の自宅がある地区は)学校の校区のなかでは端の方にあるんですね。そこから来てたのは男女を含めて3人しかいないんですよ。一方で学校の近くの子たちは、10人くらいがまとめて登校していましたから」

 中学時代の活動についても尋ねたが、以下の回答だった。

「(弁論大会での優勝について)私の記憶にはないですね。あと、クラスのリーダー的存在ということはありません。それは嘘です。

 部活については、私もバレー部だったので、一緒にやっていました。松永がキャプテンだったのは事実ですけど、結局、本人が強く望むからキャプテンにしたって感じなんです。弁が立つし、小学校のときにくらべて、表向きの強さを徐々に発揮してきたということもあったんで、じゃあ、任せるわって感じで……。でも、彼はレギュラーじゃなかったんです。というのも、チームプレーができないから。運動神経が良さそうでいて、そうでもなかったんですよね。バレー部って、3年生が7人とか、人数はギリギリだったんです。それでもレギュラーの6人にはなれませんでした」

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 

 Aさんには中学時代の松永について、記憶に残っていることがあるという。

「僕の記憶だと、先生に対して1足す1がなんで2になるのかとか、概念的なことを言う子でしたね。そういう屁理屈を先生に持ちかけて授業をかきまわすから、まわりはついていけないという感じでした」

 授業をかきまわすとはいえ、不良という感じではなかったそうだ。

「そこらへんは高校からじゃないですか。当時は上には上がいたからですね。下がいくらイキがっていても、上には上がいますから。彼は一匹狼じゃないですか。あだ名とかはなかったです。太とかそういう感じです」