中学時代の松永
(3)中学校時代
ア 被告人松永は、中学校に入学したころ、祖父が当時としてはまだ珍しかった月賦販売の方法で布団販売を成功させるなど商才に長けていたことから、祖父の生き方に強い興味を抱き、祖父から「なぜ商売を成功させて金儲けすることができたか。」という話をしきりに聞いていた(検甲493号証7ページ)。被告人松永は、祖父を心から尊敬し、「俺が松永家を昔のようにしてやる。じいちゃんの再現をしたい。」と姉らに話すことがあった(検甲496号証10ページ)。
他方、被告人松永は、父××に対しては、仕事を地道にこなすものの、自分の手に負える範囲のことしかしないという同人の性格や、酒に酔って家で暴れる性癖などから、快く思わず軽蔑していた。しかし、被告人松永は、このころは父に面と向かって反抗することはなかった(検甲493号証10ページ、同496号証4ページ)。
イ 中学校時代の被告人松永は、ワンマンで目立ちたがり屋ではあったが、明るく弁が立つ生徒であって、相変わらずクラスのリーダー的存在であった。被告人松永は、中学1年時、全生徒を対象とした弁論大会に出場し、全校生徒の前で大声ではっきりと自分の意見を述べ、3年生を差し置いて優勝を果たしたこともあった(検甲496号証5ページ)。また、被告人松永は、入学以来男子バレー部のキャプテンを最後まで続け、練習にも励んでいた。ある時、被告人松永は、女子バレー部顧問であった教諭に対し「男子バレー部も鍛えてほしい。」と頼んだところ、上記教諭から「やる気があるなら面倒を見る。」旨告げられたので、「明日までにメンバーを集めてくる。」と言い、すぐに運動神経や体格のいい生徒ばかりをずらりと集めてきたこともあり、上記教諭を驚かせたこともあった(検甲482号証3ページ)。さらに、美化コンクールの空き缶拾いがあった際、松永のグループは、被告人松永の指導力により平均一人20個拾うところを、一致団結して一人当たり40個も拾ったことにより優勝を果たしたこともあった。
ウ 被告人松永は、中学入学当初ころ、有名進学校に進学したいという思いもあったが、祖父の「勉強だけができても仕方がない。」という教えもあり、頭はいいものの勉強に対しては余り熱心ではなく、姉に対し、「今までずっとわかっていた教科がある日突然分からなくなった。突然自分よりも周りの子ができがいいと分かった。」と苦笑いして打ち明けたことがあった(検甲496号証7ページ)。被告人松永の両親も、被告人松永が大学に進学したり、大企業に勤めて出世してほしいといった期待はしていなかったこともあり、被告人松永は、地元の福岡県立××高等学校に進学した。〉