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コミュニティ化した政治勢力が個人の受け皿になる
当然ながられいわ新選組、N国党という新興政党もこのメカニズムの影響下にあります。
「政治勢力としてのコミュニティ」とは、言うまでもなく「部族主義」そのものだからです。そして、ここでは大きな懸念を表明しておく必要があります。社会的弱者への再分配に消極的であったり、国民に背を向けて既得権益を守り続けたりする日本社会の硬直性によって傷ついた人々による「政治的コミュニティ」は、「被害者としてのアイデンティティ」を政治活動の正当性とともに承認してくれる場として妖しい輝きを放ちます。これまでも家族や地域社会などのソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の崩壊については口を酸っぱくして述べてきましたが、何もないところから自尊心の支えとなる関係性を構築し、かつ維持していくことは非常に困難だからです。この二党に限らず今後も「政治勢力としてのコミュニティ」が砂粒のようになった個人の受け皿となる可能性が高いといえます。これによる集団化の進展がどのような帰結をもたらすかは、最善のシナリオもあれば最悪のシナリオもあり得ます。とても両義的なのです。
2020年9月に安倍政権は終わりを迎え、菅義偉が新たに首相に選出されましたが、ポスト安倍政権下においても、この分断と孤立が巻き起こす「アイデンティティ闘争」は加速していくことでしょう。