アメリカ大統領選挙で、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデン両候補の支持率が二分したことは記憶に新しい。日本でも、「パヨク」「ネトウヨ」など、さまざまな侮蔑を、自身とは異なる政治信条の持ち主にぶつける人は枚挙にいとまがない。

 こうした分断はこれから先どのように政治に影響を及ぼすのだろうか。真鍋厚氏の著書『山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義』から、庶民の求めているリーダー、そしてこれからの民主主義の行方について抜粋し、紹介する。

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選挙ですべてが変わるというファンタジー

 ヘイト・エコノミー(憎悪経済)を基盤とする「『いいね!』戦争」は、前述の「個人憎悪」へと流れやすい特性を併せ持っていることから、政治家――上は安倍晋三前首相から下は名もない町議まで――のソーシャルメディアのアカウントに対する攻撃を促します。これは嫌がらせや悪意のあるリプライやメッセージを送りつける行為自体への懸念といった単純な話ではありません。「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグ戦争」の動機付けが、国家が適正な手続きを行っているかどうかを監視するという普遍的な問題意識からではなく、どちらかといえば安倍晋三や東京高等検察庁検事長(当時)の黒川弘務に対する「個人憎悪」に発した趣きがあり、「テラスハウス」の彼女とまったく同様に、ネット上からアカウントが削除されるがごとく、現実にも「抹殺される」ことを期待している気分すらうかがえたからです。まるで“呪殺”です。

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いつの時代も社会変革は斬新的なもの

 このような乱暴なショートカットの背後には、政治家の場合はとりわけ選挙に対するあまりにナイーブな考え方があります。次章でも類似の議論を展開しますが、いわば選挙結果によって、すなわち首長が変わることによって社会のすべてが変わるかのようなマジカルな思考です。これは第一章で述べた消費者マインドとは少し違います。選挙によって、政治家主導によって、社会変革が成し遂げられるという一種のファンタジーです。当たり前ですが、社会というものはどちらかといえば、政治とは直接無関係な領域から成り立っています。また、歴史的に見ても、いつの時代も社会変革というものは漸進的なもので、一夜にして成就されるようなものではありません。現在、町づくりなどを率先して行っている人たちがいますが、行政に頼ることなく(行政そのものが設けている制度が障害となっている場合を除き)自分たちでアイデアや人手を出し合って、無理のない相互扶助の体制を作っているケースが大半です。