「政治は終わった。後はテックが解決する」
東京都への緊急提言37項を見ると、「学校解体で子どもの才能を解放する」「大麻解禁」「QRコードで投票できる」「東京都をオール民営化」「限りなく生活コストを下げる」などの文言があります。ここには、ある種のテクノユートピア的な理想世界が描かれています。例えば、家賃が限りなくゼロで住める「都営シェアハウス」を各所に開設し、働かなくても遊んで暮らせる若者や高齢者の居場所を作ると豪語しています。そこでは、AIとロボットの技術が進めば進むほど、人間が汗水垂らして働かなくても機械が働いてくれるだろうというテクノロジーによる課題解決が期待されています。堀江は、そのとき、いかに充実した「暇つぶし」ができるかがポイントだと述べます。
もはや衣食住のために働く必要はない。生きていくためのコストはいくらでも下げられる。
老いも若きもゲームやエンタメ、スポーツを楽しむ。
「仕事が遊び、仕事が暇つぶし」。そんな幸福度の高い生き方を実現するためのセーフティーネットを充実させる。
これから僕たちがやるべきことは「労働」ではない。「遊び」だ。
(堀江貴文『東京改造計画』幻冬舎)
(政治が機能不全に陥っているがゆえの)「政治的無関心」と(政治を終わらせるための)「再部族化行為」はヤヌスの二つの顔というわけです。
つまり、現状に対する絶望が深まれば深まるほど、「人が統治する民主主義による解決」より「テクノロジーによる救済」が魅力的なシナリオとして浮上するのです。仮に利権と排除に塗れた福祉行政をベーシックインカムに一本化し、AI技術などによって健康で文化的な生活が送れるようになるのであれば、政治家の出番、役人の出番は不要といった極論まですんでのところでしょう。「もう政治の役割は終わった。後はテックがすべてを解決する」というわけです。
民主制の黄昏
歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは昨今、政治制度をデータ処理システムとして解釈するようになってきていると述べ、独裁制は集中処理、民主主義は分散処理の方法を好むとの認識を示しました。しかし、「これは、21世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している」というのです(ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来(下)』柴田裕之訳、河出書房新社)。「データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ」と。
れいわ新選組やN国党に代表される新興勢力の急激な伸長が、現在のデータ処理のあり方が本質的に誤っていることを示す化学反応であり、堀江が最終的に志向する未来図の通過点に当たるものであるとしたら、わたしたちは民主制の黄昏に立ち会っているといえるのかもしれません。