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「わかったから、先に寝て」

 私は布団からはいだして、茂さんのそばにいきました。彼に声をかけましたが返答がありません。テレビに夢中になっているのでしょうか。もう一度、声をかけましたが同じです。そこで腕をちょっと押すと茂さんはようやくビックリしたように気がつきました。

「なに?」

「あした」

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 私はへたな日本語で、ぎごちなく彼に言いました。

「今日の後(明日のこと)……、はやい(早めに)、目(起きること)……、ママ、洗濯(義父母の洗濯物を洗ってあげること)……」

 私はまるで言葉が不自由な人のようにジェスチャーをまじえながら説明しました。茂さんは、その前に、私とママが洗濯物のことを話している様子を見聞きしていたので、私の言おうとした事をスグに理解してうなずいてくれました。

 私は、この洗濯にすごく意気込んでいました。ママは私を「先生」と呼び、「先生は偉いわ」などと言ってくれました。私は、この何度も繰り返された「先生」という言葉に興奮していました。誉められて雲の上に乗ったようなフワフワした気分で、とても心地よかったのです。ママが初めて頼みごとをしてくれた。だから、私は、必ずこの洗濯をきちんとやりとげて、彼女を喜ばせ、満足させてあげようと思っていたのです。私は早起きがとても苦手です。寝過ごして洗濯ができなくなることが心配で、茂さんに早く起こして欲しい、という意味を理解してもらおうと、時計を指差しながら字を書いて、最後に部屋にあったラジオを指差しました。うまく言えない言葉を一生懸命探しながら、大変な労力を使い意図を伝えようとしました。すると茂さんは、やっと理解してうなずきながら「わかった、わかった。わかったから、先に寝て」と言ったのです。〉

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 だが詩織はなかなか寝つけなかった。翌日が勤務先の工場の、大掃除などと考えているうちに、故郷中国の正月を思い出してしまったのだ。

 中国人にとって、お正月は、日本人以上に特別なものだ。出稼ぎに出ていた者も、都会から山ほど土産を抱えて、2日も3日もかけて帰ってくる。爆竹を鳴らし、飲んで歌って踊って、貧しい農村でも、とても賑やかだ。そんなかつての風景を思いめぐらす内、中国語で話をしたくなってしまった。そこで布団から出て、日本にいる中国残留孤児の知人の女性のところに電話をしてしまった。故郷のことや中国の旧暦と新暦のお正月の話などをすると、やはり懐かしかった。最近は中国でも新暦のお正月も祝うことが多く、日本にいる中国人たちも日本の正月休みを利用して帰国する者が多い。今年は誰と誰が帰国するらしいなどという話で盛り上がった。