文春オンライン

40代になっても「いつ辞めよう」…そんな松重豊が役者を続けられた理由

――松重豊の「僕が『空洞のなかみ』を書いたワケ」 #1

note

 たとえば、本当に駆け出しのまだ役者としてやり始めた頃に、いまの時代を「大前提」として突き付けられたら、やっぱり「どうしようかな」と思うじゃないですか。年齢を重ねている私も、考えるスパンの差はあれど気持ちは同じでした。

 ただ、「表現」というものに関しては、歴史を見ていても世の中が大変な時期は何かが起きる。そういう時に何を言うのかって、のちのち絶対に「見られる」ことだと思うんです。

 だからこそ、いま何を思ったか、大事な足跡として確実に残しておかなきゃいけない。舞台も映画館も閉まっちゃったけど、じゃあ書いてみようと……。

ADVERTISEMENT

毎日新聞出版 提供

「40代前半までつねにこの仕事を辞めることが頭にあった」

――コロナ禍で「どうしようかな」と先行きの不安を感じられたということですが、本の中にも、松重さんの若手時代の苦労話が数多く出てきます。若手の時に悩んだことはありましたか。

松重 いまも「向いてないなぁ」と思うことの方が多いですし、僕は何度もこの仕事を辞めようとして、実際、一度は本当に足を洗い、正社員として建設現場で働いていた時期もあります。その後、この仕事に戻っても、ずっとアルバイトが続く生活……。「いい加減あきらめようかな」と、いろんな局面で思っていたんですよね。

 40代の前半ぐらいまでは、常に自分の中に「いつ辞めようか」というか、廃業が頭の片隅にありました。まず生計が立てられないし、将来の展望も見えない。自分が自主的に「辞めます」といつでも言える職業ですし、代わりはいくらでもいると自分でも十分わかってますから。

「いまでもバイトの夢を見ます」

――自分で「いけるな」と思うようになったのは、どのあたりぐらいからでしょうか。

松重 バイトをしなくなって……でも、最近も「行かなきゃいけないのがヤダな……」とバイトの夢は見てますから、なんとも言えません(笑)。

 役者って、よく言われるんですけど、「もう俺安心だな」と思った時には、次は崖が用意されていて。「安心だな」と思う要素は全くないんですよね。いつも不安で。「いつ仕事がなくなるかな」という不安と戦っています。