「蜷川さんだったら、絶対カッコいいこと言ってるんだよな」
リアルというのは、演劇とか映画、劇場がなくなった時に、みんな「気の利いたこと」を言えなかったんですよね。何か言っても「こんな時に演劇のことばかり考えるんじゃないよ」「不要不急だ」と言われてしまう。
自分たちは、不要不急というものにいままで人生をつぎ込んできた。だから、「じゃあ何を言えばいいの?」「こんなときに蜷川さんだったらなんて言ったかな。絶対カッコいいこと言ってるんだよな」と思っていたんですよ。それがあったから、たぶん僕の夢枕にこっそり出てきて、「じゃあてめえ、何するんだ、この野郎」って言ったような気がするんですよね。
「いやー、実は役者ってこういう部分もあるんだよね」
――『空洞のなかみ』を読んでいると、自分で何を演じているのかわからないまま現場に行く小説の主人公も、衣装がこすれて皮膚炎に悩まされるエッセイも、俳優の裏側を覗いているような気分になりました。
松重 俳優さんの中には「ああ、こういう雰囲気や感覚はあるな」と思う人も多いと思います。もちろん実際には自分の役がわからないまま現場に行くことはありませんが(笑)、たとえフィクションでも、好きなものを書けと言われたところで、やっぱりどうしても書いていて面白くなっていったのは、役者としての日常の中で経験した物語。やっぱりいままで役者としてずっと生きてきたことしかないので、“完全なフィクション”や“自分と関係のない世界”じゃないものを書こうと思いました。
また、さらけ出したくない自分の一番恥ずかしい部分とか、自分の見せたくないものというものを「えいやっ」と広げると、はたから見ると面白かったりするというじゃないですか。なら、自分でもあんまり人様に自慢を持って見せられる部分じゃなく、「いやー、こういう部分もあるんだよね、実は役者ってね」という部分を書こうと。
実際に書いてみると、自分でも面白かったですね。わがことながら、役者は非常に卑屈で、本当にくだらない日常を過ごしているんですよ(笑)。
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「蜷川幸雄」という大きな存在が人生の大きな転機になったという松重豊さん。長年に渡って「脇役」を務めてきた松重さんの初主演ドラマが、大ヒットになった「孤独のグルメ」でした。「食べる」に焦点を当てた異色のドラマとの出会いで、「俳優・松重豊」に起こった変化とは……。