「僕は二度とこの世界を辞めたいなんて言えない」
――若手の時からずっと「辞めようかな」と思いながら、それでも辞めずに続けてこられた理由はなんですか?
松重 蜷川幸雄さんの存在は大きかったと思います。「こんなセリフも覚えてないのか!」とよく怒鳴られましたし、若い頃の怖かった思いがいまでもトラウマになるくらい、蜷川さんという人はもう本当に怖くて、いま考えると「ハラスメントの塊」みたいなところのある人なんですけどね(笑)。
でも、僕は一回足を洗って逃げ去ったのに、おめおめと戻ってきても、何年かすると「お前、俺の芝居に出ろ」といって、何度も僕を使ってくれるんです。僕はわりと最初の頃から蜷川さんには買ってもらって、いろんな役を付けてもらっていました。いろんな役を付けたうえで、罵倒されていたんですね(笑)。
ただ、稽古中に逃げ出してやめた僕みたいなやつを「お前、役はまだどんどんあるからさ」とどんどん使ってくれたりするんです。だからこっちにも「蜷川さんがこうやって使ってくれているんだから、蜷川さんの目の黒いうちは、僕は二度とこの世界を辞めたいなんて言えないな」という気持ちでずっと居たんです。
そうこうしているうちに、いろいろ経験も積んでいって、少しずつ仕事ももらえるようになっていって……。結局、蜷川さんの思ったとおり、なんとか僕もこれで生活ができる、生計が立てられるようになってきたんですよね。それはやっぱり蜷川幸雄という人が僕を信じてくれた結果、そこまで至ったと思うんです。
夢枕に立った蜷川幸雄「何もないんだったら、お前何か考えてやれ」
――松重さんにとって、蜷川さんはそれだけ大きな存在なんですね。
松重 お亡くなりになってもういませんから、素直にやめると思えば辞められるはずなんですが、どうもそうもいかないんですよ。
世の中が強制的に「俳優をやめざるを得なくなった」いまになって、夢枕に蜷川幸雄が出てきたんです。で、「お前、役者の仕事ができなくなってどうするんだ」と言っている。
「劇場も映画館も、現場もないんで……じゃあ、何か文章を書きます」「何書くんだ」「なんかいろいろ物語を書きます」「じゃあ書け。書いてみせろ」といっているうちに目が覚めて、「あ、これは夢か……」と(笑)。
またこういう時にも出てくるんだよな、あのおっさん、と思うんですよ。もう目が黒くなくなっても、向こうに行っちゃった後でも、こうやって出てきて「何もないんだったら、お前、何か考えてやれよ」と言われているというのは、非常にリアルだったんです。