オリンピックを目指した学生時代
いつかは自転車で身を立てたい。オリンピックにも出てみたい――。背を焼くような衝動に駆られ、毎日のように登り下りを繰り返したのが、背炙山。実家からもその山容が望める、標高およそ870メートルの里山が少年のライバルでもあり、師匠でもあった。上りでは自転車に必要な脚力が養われ、下りでは動体視力やスピード感覚が磨かれた。自転車を上手く操るにはペダルを押すだけでなく、引く感覚を身につけなければならないと言われるが、急峻な山道でのトレーニングで新田はいつの間にかそれを会得していたのかもしれない。
白河高校では自転車部に入り、インターハイの1キロタイムトライアルで優勝するなど、才能が開花。高校チャンピオンの肩書きをひっさげ日本競輪学校に入学した。
競輪デビューは2005年7月。プロ相手でも、自慢の脚力は十分に通用した。これまでにおよそ900走のレースに出て、1着を取ったのは300回を超える。2015年と2017年にはJKAの最優秀選手賞にも輝いた。2019年は第62回「オールスター競輪」を制し、5年連続でG1優勝を果たすなど、まさに競輪界を代表する選手である。
その「オールスター競輪」で勝利した直後、インタビューで「勝てたのはラインのおかげ」と話し、北日本勢でラインを組んだ先輩と後輩に感謝の言葉を述べた。圧倒的な脚力だけでなく、男気あふれる人柄もファンの支持を集める所以だろう。
来たる東京オリンピックに向けて、強化が進む男子ケイリンだが、ブノワ体制のもと、競輪でもケイリンでも、しっかりと結果を残してきた。
新田にとって東京は目標であり、またリベンジの舞台でもある。初めて出場した2012年のロンドンオリンピックではチームスプリントで8位。世界の強豪を相手に何もさせてもらえなかった。
だからこそ、「次は勝ちたい」と新田は言葉に力を込める。東京五輪での目標は、もちろん金メダル。福島の山で脚力を鍛えた自転車小僧が、世界のテッペンに登りつめようとしている。