『魔界転生』の矛盾
そんなお伽話の落度などは、すぐに裁判官に見透かされる。
犯行状況を語ったあとの被告人に、左陪席がこう尋問している。
──姦淫したあと、遺体を押し入れに入れてますね。入れるまでに、したことはありますか。
「とりわけ何もありません」
──脈をとったりはしてないのですか。
「全くしておりません」
──姦淫による生き返りを望んでいるんですよね。
「はい」
──どうしてそのことを確かめなかったのですか。
「わかりません」
実は、この左陪席というのが、東京地裁にいたころ、林郁夫に無期懲役を、岡崎一明に死刑判決を下した裁判官のひとりだった。だから、林郁夫の「反省・悔悟の情」も、岡崎の「自己保身からくる狡猾さ」も、見極めてきて、広島高裁の法壇の上にいたのだ。
弁護士の功罪
その元少年の判決の冒頭には、こうあった。
「死刑選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無を検討するに当たり、被告人が、本件各犯行をどのように受け止め、本件各犯行とどのように向き合い、自己のした行為についてどのように考えているのかということは、極めて重要である」
そうした上で、被告人の新しい供述の信用性をことごとく否定していく。
「被告人は、被害者の死亡を確認した後、その乳房を露出させて弄び、姦淫行為に及び射精しているところ、この一連の行為をみる限り、性欲を満たすため姦淫行為に及んだと推認するのが合理的である」
「被告人は、姦淫した後すぐに被害者の死体を押入の中に入れており、脈や呼吸を確認するなど、同女が生き返ったかどうか確認する行為を一切していない。被告人の行動をみる限り、被害者を姦淫した目的が、同女を生き返らせることにあったとみることはできない」
よもや裁判所が、屍姦を死者復活の儀式と認定するとでも思っていたのだろうか。