犯行当時18歳と30日
判決では、小説『魔界転生』の内容とも、被告人の主張するところは異なるとまで指摘している。
「『魔界転生』という小説では、瀕死の状態にある男性が、女性と性交することにより、その女性の胎内に生まれ変わり、この世に出るというのであって、死亡した女性が姦淫により生き返るというものとは相当異なっている」
救いようもなかった。
「もはや、被告人は、自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけであると評するほかない」
「これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない」
差し戻し審の入口から、もはや語るに落ちていた。
むしろ、そんな少年が不幸にさえ見えた。
もし、彼が公判の最初から、これまでの裁判と首尾一貫した主張で、ひたすら謝り続けたら、どういう結末を迎えていただろうか。
それこそ、林郁夫のようにひたすら、嘘でもいいから泣き通して、謝罪の言葉を繰り返したら。
それとも、犯行当時18歳と30日の若年ゆえに、本当に被告人が事件と向き合うことができなかったのなら、それを導くべき大人の存在はなかったのか。
手紙を送ったところで、それが自分への刃となって返ってきた。少年はそれを裏切りと捉えたかもしれなかった。
21人もの弁護人がついたことで、心強く思ったかも知れなかった。優しく、彼の言葉を聞いてくれた。それを支持してくれた。法廷での闘い方を説いてくれた。主張を一転させることで救われるはずだった。『ドラえもん』も『魔界転生』も武器となるはずだった。
しかし、それは決して功を奏するものではなかった。