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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2020/12/15

genre : ニュース, 社会

〈当時の松永が、緒方家の財産目当てで同家の長女である緒方に接近し、狡猾な嘘や暴力を用いたり、周囲から孤立させることによって緒方を追い詰めて自己の意のままに従えた上、かかる緒方を利用してその実家である緒方家に因縁を付け、慰謝料等名下にその財産を奪い取ってしまおうと画策していたことは明白である〉

貧血で倒れ、そのまま退職

 松永による連日の、ときには明け方にまで及ぶ、暴力を伴った“追い込み”が続いたことで、心労と睡眠不足が重なった緒方は、85年2月上旬に勤務先の幼稚園で倒れてしまう。事件が発覚して間もない時期の取材のなかで、同園の関係者は明かす。

「緒方先生は2年11カ月勤めましたが、ずっと4歳児クラスの担任をしていました。非常に子ども好きで、しっかり者でした。その年(85年)の2月に授業参観があったのですが、保護者の前でふらっと貧血で倒れてしまったのです。それまで体が弱いとか、休みがちだったとの記憶はありません。しかし、緒方先生はそのまま休みを取り、『1週間休みを取らせてください』と連絡してきたのです。しばらくしてお見舞いに行ったら、彼女のおじいさんしか家にはおらず、入院したのかどうかさえ教えてはもらえませんでした。その月の月末付けで緒方先生は園を辞め、1カ月後に出た退職金は彼女の母親に渡しました」

 じつは緒方は幼稚園で倒れた数日後、自宅で自殺を図ろうとしていた。

幼稚園勤務時代の緒方純子

緒方の自殺未遂

 それは2月13日午前8時頃のこと。祖父が服用している睡眠導入剤数錠をもらって飲み、自室で左手首を切ったのである。緒方は午前10時過ぎに祖父に発見され、久留米市内の病院に入院。一命をとりとめた。前出の福岡県警担当記者は語っている。

「搬送された病院での緒方の診断名は、左手首切傷、薬物中毒のほかに、心因性反応(抑うつ状態)というものでした。ただし、手首の傷そのものは軽く、2日後の15日には退院しています」

※写真はイメージ ©️iStock.com

 この自殺未遂の動機について、緒方弁護団による最終弁論は次のように訴える。

〈連日のように松永から加えられる暴力に加え、緒方の浮気を執拗に疑う松永に対し、身の潔白を分かってもらえないことの無念さ、松永に次々と自分の弱点を指摘されることによる自信喪失、そして自分の存在が他の人に迷惑をかけるという自己嫌悪、更にはそのような悩みを誰にも相談できない状況に追い込まれていったことなどから進退が窮まったことにあった〉

 緒方の母・和美さん(仮名)から緒方の自殺未遂を聞いた松永は、すぐに病院に駆けつけている。そして、「純子さんをこのまま放っておけばまた自殺するかもしれませんよ。それに、放っておくともっと堕落する。私の言うことは聞くので、私に預けていただければ責任を持ちます」と、緒方の両親に対し、緒方が退院するときには自宅ではなく、松永の元に連れ帰ることを切り出した。