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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2020/12/15

genre : ニュース, 社会

〈この頃の緒方の心情であるが、緒方は、松永が自分と別れる意思がないことを知り、そのような松永に抗って、実家に帰っても松永の執拗な性格から、家族に却って迷惑をかける、また、仕事を続けても松永から職場に嫌がらせがなされると思い、他方、松永が自分を放さないのは愛情があるからだ、松永が暴力を振るうのも自分に悪いところがあるからであって松永の愛情の証しだと考え、更には、自分のために、(*松永がかつて緒方に語っていた)ミュージシャンの夢を捨てた、家庭もめちゃくちゃになったと言う松永に申し訳ないと負い目を感じ、とにかく自分が松永の元にいたほうが人に迷惑をかけない道だ、との思いから松永と行動を共にすることを決めたのである〉

 ここで検察側と緒方弁護団側の齟齬について「若干の」としたのは、結果的に緒方が松永の行動を愛情だと解釈し、自身の負い目から彼と行動することを選んでいるからだ。そしてまたそれは、DV被害を受け続けている人物に、少なからず生まれる感情でもある。

※写真はイメージ ©️iStock.com

絶縁を求め「また自殺する、ソープで働く」

 前出の検察側の〈事実認定の補足説明〉に記されている内容は以下の通りだ。

〈緒方は、実家を離れて松永との交際を続けるために、昭和60年(85年)3月、松永と共に実家を訪れ、和美と孝に対し、実家と絶縁したい旨を申し向けた。孝や和美は、当初、緒方の絶縁に反対したが、緒方は、「念書をもらえなければまた自殺する。ソープで働く。」などと申し向けて絶縁を求め、松永も、「自殺するような人をおいておくのは迷惑だけど、このまま放っておいたらまた自殺するかもしれないし、もっと堕落する。純子は私の言うことはよくきくので、私に預けていただければ責任は持ちます。」などと申し向け、強く絶縁を求めたので、孝と和美は、「緒方との縁を切り、今後一切、緒方とは関わりを持たない。」旨記載した書面を作成し、緒方は孝の戸籍から分籍した〉

 これらの絵図が、すべて松永によって描かれたものであることは疑いようがない。以上をもって、緒方が同居する家族と明確に“分断”された、瞬間だった。

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