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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2020/12/15

genre : ニュース, 社会

 両親は当然ながら反対したが、松永は緒方家が、緒方の救急搬送時にサイレン音を消してもらうなど、世間体を強く気にする家であるなどの事情を知悉している。結果的に松永が押し切るかたちで、退院した緒方は、松永が自身の会社「ワールド」の従業員用に借りていた、福岡県三潴郡大木町にあるアパートに連れ帰られた。

いきなり顔を殴りつけ「自殺は狂言だろう」

 そこでなにが起きたか、公判での判決文のなかで検察側が〈事実認定の補足説明〉として提出した資料には、以下の記述がある。

〈松永は、同所(大木町のアパート)で、緒方に対し、いきなり顔を殴りつけ、「自殺は狂言だろう。自殺すると関係者が疑われ警察に呼ばれる。」などと責めるとともに、「残された家族がどんな思いをすると思うか。」などと諭すように言った。緒方は、このときから、松永に対し、それまでの愛情に加えて、松永が人間的に自分より大きな存在であるとの敬意さえ覚え、自分の生き方は間違っていたなどと考えるようになった。緒方は、ますます松永に惹かれていき、両親と暮らす気はなくなり、松永と一緒に生きていこうと考えるようになった。緒方は、孝(仮名)や和美の反対を押し切って、そのまま大木町のアパートに住むようになり、昭和60年(85年)2月28日ころには勤務先の幼稚園も退職した〉

 この自殺未遂での入院から退院に至る状況について、緒方弁護団の最終弁論は、検察側の訴えとは異なっている。緒方に依る当時の状況は次の通りだ。

※写真はイメージ ©️iStock.com

松永の暴力を両親に打ち明けようとも考えたが……

〈入院中、両親に松永の暴力について打ち明けようとも考えたが、母親(和美さん)は松永に取り込まれているとの印象だったために、相談しても、松永にいいように説得されるだろうとの思いから、結局両親に相談することができなかったのである。松永も緒方の口から、松永が緒方に加えた虐待の事実が明らかになるのを恐れ、緒方の入院先を訪れては、同人を監視した。

 

 緒方は、退院後は自宅に帰るつもりであったが、自己の悪事の発覚を恐れた松永が、強引に緒方を引き取り、借りたアパートに住まわせた。

 

 松永は、アパートに連れてくるなり、緒方の顔面をあざが残るほど殴打し、「お前、狂言だったんだろう」と緒方の自殺企図を疑った。そして、緒方に対し、自殺をすると松永が警察に呼ばれることになることや、残った家族を悲しませ、多大の迷惑をかけることなど、もっともらしく緒方に説教をした〉

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 その流れで緒方は幼稚園を退職。また、後述するが、自殺未遂の翌月には両親との縁を切る書面を書き、分籍までしている。そうした際の心情についても、検察側の主張とは若干の齟齬がある。緒方弁護団による最終弁論の続きはこうだ。