足をとっての4の字固め! 一度二度、きまりかけたのを、力道山は横に足をねじってのがれたが三度目、ついにとらえられた。(中略)4の字がくずれたあとは、リング下の乱闘だった。もうめちゃくちゃだった。ヘッド・ロックにしめあげて、魔王は力道山の頭を幾たびもマット下に叩きつけた。ザックリ割れた力道山のひたい。その首をかかえて、また打ちつける魔王!「リキ、どうした……」とぶ声、叫ぶ声。あたりの客席は、一様に立ち上がった。私の位置からは、もうなにも見えない。(中略)
と、そのときだった。私の目の前を、人ぶすま越しに、白いものと赤いものが乱れて、空に舞った。力道山の、バック・ドロップがモノの見事にきまった瞬間を見たのであった。「……十六、十七、十八……」力道山は、ロープをかいくぐっておどり上がった。(中略)ともかく、すごい試合だった。初めから終りまで、息つく間もない秘術、攻防の連続だった。日本プロレス史上、屈指のものとして残るであろうこの名勝負が演じられた昭和三十八年十二月二日(月)の夜の東京都体育館を私はきっと、いつまでも忘れ得ないであろう。
61分3本勝負の“国際ルール”でおこなわれたインターナショナル選手権試合は、挑戦者のデストロイヤーがロープに両足をかけての“反則エビ固め”で1本目を先取し、2本目は力道山がロープの反動を利用したカウンターの逆水平チョップでデストロイヤーから3カウントを奪ってスコアは1―1のタイ。小島さんは力道山の空手チョップをシンプルに“空手”、逆水平チョップを“右にひらいての水平斬り”と表現している。
息つく間もない秘術、攻防の連続
決勝の3本目、場外で力道山のバックドロップが決まった瞬間の“白いものと赤いものが乱れて、空に舞った”という描写は、小島さんらしい落語的、演芸的ないいまわしということになるのかもしれない。力道山の試合をずっとすぐそばで観てきた小島さんによる「おそるべき名勝負」「初めから終りまで、息つく間もない秘術、攻防の連続」「いつまでも忘れ得ないであろう」といった記述からは、この試合がいかに歴史的な一戦であったかがうかがえる。
この2日後(12月4日)の大阪府立体育会館でのタイトルマッチ再戦の記事を執筆しているのは、当時、日本プロ・レスリング・コミッショナー事務局長の役職にあった工藤雷介さんだ。1913(大正2)年生まれで当時50歳だった工藤さんは、柔道出身のジャーナリストを経て「柔道新聞社」社主をつとめた人物。その経歴も異色だが、日本プロレス協会のコミッショナー事務局長といういわゆるインサイダーが専門誌で記事を書いている点がひじょうに興味ぶかい。内容的にはかなり“読み物”的なテイストで、いたるところに大正―昭和の日本語表現がちりばめられている。こちらの記事も“跨間(こかん)” “咆(ほ)える” “坐(すわ)り” “密柑(みかん)” “間近か” “駈け”など、現在は使われない旧漢字と漢数字の表記、送り仮名、誤字と思われる表記についても原文のまま引用した。