昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「ショーに来るのは今夜が最後だ」 “人間魚雷”ゴーディが盟友ヘイズと共にした最後の数分間

『忘れじの外国人レスラー伝』より #2

2020/12/07

 1983年の全日本プロレス参戦後、世界最強タッグ決定リーグ戦を計三度制覇。特に“殺人医師”スティーブ・ウィリアムスとのタッグは抜群のコンビネーションで、全日本プロレスに一大旋風を巻き起こした。そんな“人間魚雷”テリー・ゴーディが帰らぬ人となってしまったのは突然のことだった。

 死因は心不全。かねて指摘されていた体調管理の甘さが原因となったのか、それともトップレスラーとして酷使し続けた体が死期を早めてしまったのか……日本を代表するプロレスライターである斎藤文彦氏の著書『忘れじの外国人レスラー伝』を引用し、著者が取材したゴーディの素顔、そして非業の死をとげるまでの彼の様子を振り返る。

◇◇◇

ディープサウスの自宅にて

 1990(平成2)年のシーズンズ・グリーティングスだった。

 メンフィス発―チャタヌガ行きのノースウエスト2849便は、20人乗りの危なっかしいプロペラ機だった。テネシー州チャタヌガは、同州とジョージア州のボーダーラインに位置する人口16万人の小都市。ゴーディが住むサディーデイジーSoddy-Daisy は、チャタヌガから25マイルほど北上したところにある。

 まるで長距離列車が停まる駅の待合室を思わせる古い木造建てのバゲージクレームで、ゴーディは筆者を待っていてくれた。12月の終わりだというのにスウェット1枚の軽装だ。ディープサウスの冬は長い雨のシーズンだ。雪が降ったりすることはめったにない。

 ゴーディの愛車はミルクチョコレート色の大きな4WDのシボレーだった。空港のすぐそばからフリーウェイに乗ってしばらく走ると、右手にうっすらと山並みが見えてきた。

「あれがルックアウト・マウンテンだ」とゴーディが説明してくれた。

©iStock.com

 南北戦争の時代、南部の兵士たちがテネシー州全体とテネシーと隣接する6つの州を偵察するために登った山なのだという。テネシーとジョージアの州境にあるチャタヌガは、そのまま西に25マイルほど行けばアラバマ州のステートラインとぶつかるし、東に向かって車を1時間も飛ばせばノースカロライナ州にもたどり着く。

 テネシー州の北から東をとり囲んでいるケンタッキー、ジョージア、アラバマ、バージニア、南北カロライナの6州がほんとうにあのルックアウト・マウンテンから見渡せるのかどうかはわからない。でも、あの細長い山やまがチャタヌガに住む人びとの自慢――アメリカン・ヒストリーの名所――であることに変わりはない。

 走っても走っても街の中心らしき景色が現れてこない。ゆったりとしたハイウェイ沿いにときおりファストフードのレストランがあったり、ショッピングモールがあったり、平屋建てのオフィス・ビルが見えてくるだけで、あとは道の両側には森がつづくばかりだ。

ビールをぐいぐい飲みながらの運転

 セルフサービスのガス・ステーションに停まった。ガソリンを入れたついでに、ゴーディはビール―銘柄はミケロブ―を1ケース(24本入り)買ってきて、運転席に座ったと同時に茶色のボトルの栓を抜き、エンジンをかけながらそれをぐいぐい飲みはじめた。ガソリン代はちょうど50ドルだった。ずいぶんと燃料を食う車に乗っている。

 気がつくと、だいぶ山のなかに入ってきてしまった。昼間だというのに霧が濃くて前方がよく見えないから、ハイビームのライトをつけて走るしかない。

「ヘイ、こりゃあ霧っていうよりもな、雲なんだぜ」といってゴーディは笑った。

 “ウェルカム・トゥ・サディーデイジーWelcome To Soddy-Daisy”というグリーンの看板が立っていた広めの道からしばらく登り坂を上がっていくと、ゴーディが住むテラス・フォールズ通りにぶつかった。