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帰国後のデストロイヤー

 アメリカに帰ったデストロイヤーは、ホームタウンのニューヨーク州アクロンで小学生、中学生を対象としたアマチュア・レスリングと水泳のコーチになった。もともと学校の先生だから、子どもたちにスポーツを教えることは無条件に好きだったという。50代のデストロイヤーは、毎年夏になるとバケーションのような感じで日本にやって来て、1シリーズだけ現役選手として全日本プロレスのリングで試合をつづけた。

 マスクマンはトシをとらない生きものだけれど、やっぱりどこかで区切りをつけたかったのだろう。初来日からちょうど30年後の1993(平成5)年、デストロイヤーは日本で引退試合をおこなった。63歳のデストロイヤーは馬場、日本でプロレスラーになった長男カート・バイヤーとトリオを組み、永源遙&渕正信&井上雅央と6人タッグマッチで対戦。気持ちよく汗をかき、最後は足4の字固めで若手の井上からギブアップ勝ちを奪い、日本のファンに笑顔で別れを告げた(7月29日=日本武道館)。

引退後も日本を訪れ続けた

 リングを降りたデストロイヤーは、それからさらに二十数年間、毎年のように夏になると日本に戻ってきて震災被災地、養護施設、病院、スポーツ関連団体などを訪問。東京・港区の麻布十番納涼まつりで“デストロイヤーの露店”を出店し、ミニチュアの白覆面、Tシャツや人形、サイン入り色紙などのデストロイヤー・グッズを並べ、いつも流暢な日本語でお客さん一人ひとりと楽しそうにおしゃべりをしていた。

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 2017(平成29)年11月、日本とアメリカのスポーツ文化交流、その発展・振興に寄与した功績を認められ、プロレスラーとしては初めて旭日双光章(叙勲)を受賞した。往年の“白覆面の魔王”のイメージのままマスクをかぶってセレモニーに登場した87歳のデストロイヤーの姿が、時空を超えて21世紀のテレビとインターネットの動画画面に映しだされた。

 19年3月7日、ニューヨーク州アクロンの自宅で死去。88歳だった。故人の遺志に従い、同年11月、その遺骨は家族の手でハワイの海に散骨された。

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斎藤 文彦

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