赤軍派の男たちは「騙したな」とわめき出したが、彼らの1人が同じレシーバーで管制官とのやりとりをすべて聞いていたのだから、石田や江崎に怒りの矛先を向けても仕方がなかった。リーダー格の男はただちに乗客に向かって、「我々は騙された。危うく日本政府と韓国政府の罠にはまるところだったが、こうなった以上、この場所に1週間、1ヶ月留め置かれようとも北に行くという目的は達成する。抵抗する者には徹底的に制裁を加える」と声を張り上げ、やっと解放されると思ってホッとしていた乗客は一気に奈落の底に突き落されたような気分だったという。
当時の韓国国防部長官への取材
じつは私もこの事態にははたと困った。機内の様子はその後のクルーや乗客のインタビューでわかったが、金浦空港着陸後、韓国側がどう動いたかは韓国の要人に取材しないとわからないからだ。そこに救いの女神が現れた。親しくしていた在日韓国人の女性が私の希望を聞き、幅広い人脈をたどって、当時の韓国国防部にいた丁来赫(チヨンネヒヨク)長官へのインタビューの約束をとりつけてくれたのだ。
当時の韓国は北との間が極度の緊張状態にあったため、6つある空港はすべて軍が管理していたのである。したがって金浦空港も丁長官の指揮管理下にあり、当然「よど号」事件でもすべての指揮をとっていたのだから、取材対象としてこれ以上の人はいない。長官からは2001年(平成13)3月31日の午後3時に、ソウルのホテルで会いましょうと約束し、通訳を頼むつもりでその女性と一緒にソウルへ向かった。もちろん初対面だったが、がっちりした体格の丁長官は元軍人らしい風貌で歳よりずっと若く見えた。ところが、最初にあいさつを交わした途端にびっくりした。じつに流暢な日本語だったのだ。聞けば16歳から20歳まで日本の陸軍士官学校で学んだということで、通訳を介する必要はまったくなかった。
最初になぜこの日時を指定されたのか尋ねると、3月31日の午後3時は「よど号」が金浦空港に着いた時間だったからだという。わざわざその時間に合わせてくれた心憎いばかりの配盧に、冒頭から温かい人柄にひかれるインタビューになった。