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なぜだか手に力が入り、鍋が傾いた

 ミョウガの香りが漂ってきて鼻にしみました。鍋をのぞくと、ミョウガ茶はもうできたようですから、すぐに火を消しました。またフライパンを取って水で洗い、炒め物がすぐできるように準備しました。味噌汁はまだ味噌とダシの素を入れていません。

 煮たミョウガ茶の鍋を動かしさえすれば、炒め物のスペースが出来ます。私は忙しくしていました。台所は私の舞台です。我が家では熱い鍋や煮たミョウガ茶や、他の何かを煮たとき、鍋はテーブルの上に置きます。丸い竹の鍋敷きを使ってテーブルが焼けないようにしています。内装が終わって1階を居間として使うようになり、このテーブルを置いたときから、鍋の敷物はいつもそこにありました。つまり熱い鍋を置く場所は決まっていたのです。

 この時の私は音楽を聞き、楽しく晩御飯の準備をしておりました。身も心も音楽に陶酔していました。CDを聞く様になって、体調も医者がいう通り大分良くなっていたのです。

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 宇多田ヒカルの音楽を聴きながら、さあ、炒め物をしなければと、両方の手でタオルを使って鍋を持ち上げ、後ろのテーブルに置こうとしたときでした。なぜだか手に力が入り、何かにぶつかったように鍋が傾きました。熱いお茶が私のほうにこぼれました。

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仙人のように霧とも蒸気とも言いがたいものが身体中から

 アッと声をあげ、バランスを取ろうとしたのですが、手に針で刺されたような痛みが走りました。私は条件反射のように鍋を外に傾け、離してしまいました。

 すると、その時、茂さんのアッ、アッという叫び声がほとんど同時に聞こえました。なんと茂さんが魔術師のように私の前に立ち、仙人のように霧とも蒸気とも言いがたいものを、身体中から立ちのぼらせていたのです。私はカーッと熱くなり、なぜ、このようなことが起きたのか訳がわからず、子どものようにワーワー泣き出していました。〉

 茂が全身にミョウガ茶の熱湯を浴び、全治5ヶ月という、命を失ないかねないような大ヤケドを負った瞬間の詩織の手記である。詩織は、あくまで「偶発的事故」と主張しているのだ。