喧嘩の多かった親類とも暖かな空気の中で食事を
〈夜は一度帰った弟さんがまた来て、3日目には親類の人たちが来ました。
「お前よ、どうしたのその顔」
「大丈夫だよ。すぐ治るよ。ところで俺、来年3人目の子どもが生まれるんだよ」
茂さんが冗談を言うと親類の人も「うちも負けてはいないよ。来年4人目が生まれるよ」。
みんな笑っていました。それもこれも茂さんが見た目より元気そうだったからです。でも、こんな光景は何年ぶりでしょう。親類どうしで、ずいぶん喧嘩もしてきましたが、このような笑い声、このような光景は最近まったく出会ったことのないものでした。
お昼には、その親類の人、娘さん、弟さんなどと病院のレストランで昼食をとりました。ご飯を食べているときも和気あいあいとしており、何か暖かな空気が流れているようでした。
「何かひとつ失うと必ず何かひとつ得ることができる」という中国の諺
私は今回の火傷騒動で、夫婦の愛がどこにあるのかを知ることができました。茂さんが、火傷をしたとき、私もほんとうに、どうしていいかわからず、ずっと泣きっぱなしでした。それにもかかわらず、茂さんは重傷を負っているのに、真っ先に私の手が痛むかと心配してくれ、自分の火傷ではなく、私の手を先に水で冷やしてくれたのです。それに、自分の顔が腫れてなにも見えないのに、私が御飯を食べたかどうか、よく寝られたかと心配してくれました。それは、私にとって予想もできない程、嬉しいことでした。
私たちは恋愛をして結婚したわけではないし、歳も離れていて、生まれ育った国も違います。でも今回の火傷によってお互いの気持ちと愛情を高めあうことができたと思います。
財産をめぐって憎みあい、先祖のお墓参りにも来なくなってしまっていた茂さんの親戚も、お見舞いによって、再び交際が復活し、命がつきるまで先祖の墓参りをすることができるでしょう。
中国では「何かひとつ失うと必ず何かひとつ得ることができる」という諺があります。茂さんは、火傷をしたことでひとつ失いましたが、心から愛する妻を得ることができました。そればかりでなく、ずっと性格があわなかった親戚がお見舞いにきてくれたのです。茂さんは火傷によって、ふたつのことを得ることができたのです。
ただ残念なことは、このように有意義な結果を与えてくれた出来事が、傷害罪とされ、私は警察で尋問され、法廷で争うことになってしまいました。本当に、悲しく、もしその後のことが予測できたなら、私は茂さんに、なぜ、火傷したかという証言を書類にしておいてもらえば良かったと思わずにいられません。〉