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“バブルの遺産”だった終電時刻

1992年1月22日の朝日新聞「延長終電閑古鳥」

 ところが、実際に終電が繰り下げられた後の1992年1月22日の朝日新聞。「延長終電閑古鳥」という見出しが踊っている。読売新聞と朝日新聞だから論調が違うだけだろう、と思われるかもしれないがさにあらず。同じく1992年4月10日には読売新聞が「深夜バス閑古鳥」、11月27日(夕刊)には毎日新聞が「深夜 電車 バス さっぱり」。終夜運転への布石として期待されたはずの終電繰り下げはほとんど成果を出すことができず、終電繰り下げまで深夜族の頼みの綱だった深夜バスすらお客が減ってしまったのだ。

1992年4月10日読売新聞「深夜バス閑古鳥」
1992年11月27日夕刊の「深夜 電車 バス さっぱり」

 いったい何があったのか。バブル崩壊である。多くの企業で業績が悪化して交際費カット、残業ナシが通常になって、24時間戦う企業戦士は過去のもの。残業がなくなればもらえる残業手当が減るから遊ぶお金もなくなって、終電が遅くなってもそこまで遊べる人はめっきり減ってしまったのだ。そうしていつしか終夜運転待望論も姿を消した。

 終電のお客は定着するに従って少しずつ増えていったが、つまるところ0時台後半にも踏み込んだ終電延長は“バブルの遺産”のひとつだったのである。

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21世紀に現れた「都営交通24時間化」の声

 景気が冷え込めば終電延長は望まれず、好景気になると終電は遅ければ遅いほうがいい……。人類はわがままな生き物なので、景気が上向くとまたぞろ終電延長論がやってくる。00年代、いざなみ景気に沸き立つ中で、2013年4月に竹中平蔵氏が政府の諮問会議で東京都営交通の24時間化を求める提言をしたのだ。それに乗っかったのは当時の猪瀬直樹都知事。実際にその足がかりとして渋谷~六本木間の都営バス路線の終夜運転を行っている。

 バブルの頃と違うのは世間の反応。新聞各紙も世論も好意的には受け取らず、終夜運転のバスも利用者は1便あたり10人にすら満たなかったという。結局、猪瀬知事の退任後、終夜運転案は気が付かぬうちに雲散霧消してしまった。

 それでもこの時期には東京メトロや一部の私鉄が終電の繰り下げを実施しており、長期的に見れば終電は遅くなる傾向が続いていた。終電を早めた例は2009年のJR西日本くらい(脱線事故を受けての対応)。

大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)なども終電をくりさげていった

 大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)や名古屋市営地下鉄など大都市の公営交通も終電を繰り下げ、つくばエクスプレスや多摩モノレールなどの郊外通勤路線も右に倣った。生活の多様化が進む中で、大都市圏における終電の繰り下げという潮流は避けようもないものになっていたというわけだ。

 さらにコロナ禍に消えた2020年の東京五輪開催中の終電繰り下げも報じられた。インバウンドも華やかなりし新時代、オリンピックをきっかけに終夜運転案が首をもたげてくるのではないか……。そんな風潮の中で、2020年を迎えたのであった。