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『生け捕り部屋』での共同生活をしていた従業員

 松永らによる事件が発覚した当時、福岡県警担当記者は私に語っている。

「ワールドの従業員たちは一部の幹部社員を除いて共同生活を強いられています。そこは松永の自宅母屋の裏にある小屋で、『生け捕り部屋』と呼ばれていました。その小屋は雨戸が閉められた12畳1間で、新たに“生け捕られた”者は、そこで松永に命じられた先輩従業員から、木刀や電話帳で夜通し殴られるなどして反抗心を奪われた末、詐欺的な手法で布団の販売をさせられていました」

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 私はこの話を聞いた2002年に、元ワールドの従業員だった山形康介さんに取材をした。そこで彼は次のように話している。

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「私がワールドに入ったのは1984年のことです。入ったといっても、騙されて入れられたといったほうがいいでしょうか。いったいなにがあったのかというと、先にワールドにいた野間という男が、私に電話をかけてきたことから始まります。彼は私と同じ大学だと話し、『布団の販売をやっているが、契約がとれずに会社が潰れそうで困っている。別にあなたにお金の負担をかけない。私がその分の代金は払うから、名義だけを貸して信販会社のローンを組んでくれないか』と頼んできたのです。

 彼があまりに気の毒そうだったので、お金がかからないならいいかと、ついその申し出を受けてしまったのが間違いの始まりでした。

「もし払えないなら、うちで働いて返しますか?」

 後日になって松永がやってきて、『あなたは架空の契約を結ぶために有印私文書偽造をしましたね。そのおかげで、うちはそんな不正はできないと、自分の方から信販会社との信販契約を解除しました。そのおかげで莫大な損害をこれから被ることになってしまった。どうしてくれるんですか?』と言うのです。損害金額はよく憶えていませんが、数百万円か数千万円だったと思います。

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 それで、突然のことに驚く私に、『もし払えないなら、うちで働いて返しますか?』と聞いてきました。不思議なことに、その時の会話で私は松永のことをすごい人だと思っていました。スケールのでかい人だし、この人の会社に入ってお金を返していくのも悪くないと思ってしまったのです。私は松永より3歳年上ですが、年下の松永のことを『太さん』と呼び、敬語を使っていました」