文春オンライン

新型コロナウイルスに揺れた2020年…クラスター対策班はどうして3日で“3密”にたどり着けたのか

――いま振り返る新型コロナウイルス感染第一波 #1

note

 新型コロナウイルスに世界が揺れた2020年。その歴史的とも言える感染症「第一波」に対して最前線で立ち向かったのが、厚生労働省クラスター対策班だった。その中心的人物のひとりだった西浦博氏が当時を語った『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(聞き手:川端裕人、中央公論新社刊)が、大きな反響を呼んでいる。

 その中から、日本で生まれ、その後、世界にも広まっていった「3密」概念の誕生について、抜粋して引用する。

 なお、太字は川端氏による文責である。

ADVERTISEMENT

 ◆◆◆

 西浦がマニラから帰国し、初めてクラスター対策班に足を運んだのは、2月26日だ。前日にすでに顔合わせが終わっており、西浦は一日遅い参加となった。ダイヤモンド・プリンセス部屋と同じ6階の、逆サイドにある会議室がその拠点だった。この後、3ヵ月にわたって毎日詰めることになるクラスター対策班のベースである。

 クラスター対策班としての最初の大きなテーマは、「クラスターが発生する条件」を特定することだった。のちに「3密」と呼ばれるようになる感染の伝播のキモとなる部分は、対策班が走り始めた最初の3日、まさに“黄金の3日間”で解明され、共有されることになる。

西浦博氏 ©️AFLO

「おかしいな、おかしいな」

 クラスター対策班が動き始める少し前にさかのぼります。

 押谷先生は、こと感染症対策になると、自分で決めたゴールに向かって猪突猛進、必死にぐんぐん進んでいく、本当にまじめでストイックな専門家です。そんな押谷先生が、流行の初期から、「おかしいな、おかしいな」と言い続けてきたことがありました。

 押谷先生が講演した時のスライドを、僕も一緒に作ったんですけど、そこには「流行初期の最大の謎」と書かれています。たとえば、日本で診断された最初の9人、つまり、中国から帰ってきた人や、中国からの旅行者ですけど、それぞれ濃厚接触者が何人いたかというと、38、32、7、2、3、22、2、2、3と結構いるんですよ。でも、これだけ接触した相手がいるのに、ここから二次感染が、観察できた範囲内では出ていませんでした。でも、実際に流行は続いているわけですから、どこかで二次感染が起きる場所があるはずです。