小泉今日子の最後の主演映画と、現実の深い亀裂
小泉今日子が主演した『食べる女』という映画がある。2018年に公開された、東京の都会に暮らす女性たちの群像劇、その食事へのこだわりを中心に、生きることと食べることを重ねた映画は、影のテーマとして女性の自立、文字通り「女が自分で食っていく」姿を描いている。
前田敦子、広瀬アリス、鈴木京香という錚々たるトップ女優が並ぶ中、脚本とプロデュースを担当した筒井ともみが「主演は絶対に小泉今日子でと決めていた」と語るように、それはとても美しい、そしてとても小泉今日子らしい映画だった。
だが同時に、その映画の美しさと、現実の東京で進んでいく生活の破壊に深い亀裂を感じたのも事実だ。映画で描かれるのは、金にものを言わせた贅沢な食材選びではなく、一人暮らしの女性の経済力で選べるささやかな食事の工夫だ。だがそうした「ほんの少しの文化的なゆとり」、「女が自分で食っていける」社会そのものが、現実の東京の中でミシミシと侵食されるような時代に僕たちは生きている。
小泉今日子が若い頃は「当たり前の未来」と想定されていたであろう、健康で文化的な最低限度の生活を描いた美しい映画を見ながら、映画が時代遅れになったのではなく、現実が貧しく野蛮な時代に逆行しつつあることを感じずにはいられなかった。
俳優としての活動を休止した、小泉今日子が伝えたかったこと
『食べる女』は、現時点で小泉今日子の最後の主演映画となっている。2018年に小泉今日子は日本最大の芸能事務所から独立すること、俳優としての活動は休止し、映画や舞台のプロデュースを中心にした裏方の活動にまわることを発表した。
今年公開された『ソワレ』、村上虹郎と芋生悠の二人の演技が話題を集めた映画は、小泉今日子がアソシエイトプロデューサーとして名を連ねる、彼女が世に送り出した作品のひとつである。演技力を電話詐欺にしか使えない俳優と、貧困と虐待の中で社会から追われる少女の物語は、明らかに「表現と社会」、映画は社会に対して何ができるのかという陰のテーマを抱えていた。
それは最後の主演作『食べる女』で「あるはずだった当たり前の社会」を女優として演じた小泉今日子が、作り手、プロデューサーとして「今ここにある現実」に真っ向から向き合った作品だった。