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2020/12/25

自分の芝居に「恥ずかしくて逃げるように帰った」

――こちらも以前の発言ですが《試写を観た時に、どうしても自分の芝居が気になった。観終わって恥ずかしくて誰にもわからないようにいちばんで出てきて逃げるように帰っちゃったんですけど。いまほど純粋に楽しめる仕事の仕方じゃなかったし、自分の仕事がうまくいったかどうかという見方をどうしてもしてしまっていた》と仰っていますが、演技に納得されていなかったのですか?

島本 ヘタクソでしたからね。これはいまもそうですけど、先輩たちを見ていると「皆さんお上手だな、素敵だな」「まだまだ自分は努力が足りない」って思いますもん。デビュー当時はわりとがむしゃら系の芝居をしていて、周りの方の演技とのバランスもあまり考えていませんでしたから。だから「一生懸命、役作りしなきゃ。一生懸命、しゃべらなきゃ」みたいなものが、自分でもわかるくらいに出ていたんでしょうね。

――いま観直しても気になってしまうものですかね。

島本 気になるところもあります。ただ、クラリスの時もそうですけど、初々しいゆえに演技に狙っているところがないじゃないですか。ああいうのは、やっぱりすごいなとは思います。クラリスもナウシカもやればできますけど、どこか作り物になっちゃう。あの頃の演技は、どうしたってできない。

 

監督の一言「泣きたいのなら『おしん』を観ればいいんです」

――宮崎監督といえば気難しいイメージがあるのですが、島本さんの目から見ていかがでしたか? 劇場公開の舞台挨拶に監督と出席された後に『ナウシカ』を観てすごく泣きましたと話したら、「これは泣かせるだけの作品じゃない」とピシャリと返されたそうですが。

島本 その後に「泣きたいのなら『おしん』を観ればいいんです」って。同じ頃に『おしん』の劇場アニメ版も公開していたんです。でも、ピシャリという感じじゃなくて普通の口調。ぜんぜん、厳しくない方ですから。

 ナウシカの時かクラリスの時かは覚えていないけど、宮崎さんを監督と呼んだら「いや、監督と呼ばないでください」と言われて。ほんと、そういう方です。それ以来、ずっと私は“宮崎さん”ですね。さすがに、いまは「監督と呼びなさい」と言われるのかな(笑)。

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