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「殺したときには射精していました」“快楽殺人犯”とされた山地悠紀夫が女性殺しに走った本当のワケ

『日本の凶悪犯罪 昭和―令和「鬼畜」たちの所業100』より #2

2021/01/05
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 この山地の異変を訝しげに母親は見ていた。母親は江崎の携帯に無言電話をかけたのだ。それを知り激高した山地は母親を撲殺してしまう。その母親殺害の件の取り調べでの山地の言葉だ。

「すぐに殺さないよう、頭、つまり『急所を外して』殴った(中略)ガラスなども割れた上を母はのたうちまわっていた。(中略)どのくらい殴り続けたかわかりませんが、ある人のことが頭の中に浮かび金属バットを持っている手が止まった」

©iStock.com

 それは江崎美幸のことだった。母殺しの数時間後、山地は江崎を昼食に誘った。その席で「僕、血の臭いがしないか」と、山地はしきりに聞いていた。母親の肋骨は折れ、顔の判別もつかないほどの状態だった。その後、自分から警察に通報して山地は逮捕された。2000年7月31日のことだ。結果、家裁送致の後、山地は少年院に送られた。

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 少年院時代、山地は「俺がここを出るのを待っている女がいる」と自慢げに話していたという。だが、江崎からの連絡は一切なかった。

第2の殺人は「初体験」の代償行為か

 わずか3年ほどで少年院を出てきた山地は下関でパチンコ屋の住み込み従業員となった。休日ごとに下関から山口まで通っていたという。それはあてもなく江崎を探すためだった。

「お前、山地やろが」

 山地は、少年院出身者に恐喝されるようになった。逃げるように職場を変わり、行き着いた先はパチスロのゴト師のグループ。福岡を拠点に山地は全国を回った。そのときの仲間の話だ。

「みんなで風俗に行くときもオレはいいよと断ってた。キャバクラでも、山地は女の子とほとんど話ができんくらいシャイやった」

 その山地が、ゴト師グループを追われると、姉妹をレイプ殺人したのだ。05年11月17日、少年院出所からわずか2年後のことだった。

 取り調べでは残忍な様子を嬉々として語っている。

「妹の胸からナイフを抜いたときに妹の身が仰け反ったのを見て興奮がマックスになって完全に勃起しました。(中略)強姦するのに妹の手が邪魔になるので、妹の手をナイフで切りつけました。(中略)自分の性的興奮を増すため、妹の右頰を左手に持っているナイフで突き刺しました」