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起訴された靖子

 実は読売と東日の記事の間に靖子は起訴されていた。「特高月報 昭和8年7月分」の「日本共産党の運動状況」で「治安維持法違反起訴者調」の警視庁検挙者の表に載っている。

被告氏名及び年齢 岩倉靖子(22)

検挙 3月30日

起訴 7月7日

犯罪事実 目遂、党技術部メンバー、党運動資金198円を提供せり

本籍 東京

学歴 日本女子大英文科2(年)中退

職業 無(職)

 当時の198円は2017年換算で約41万4000円。「目遂」とは、1925年に制定された治安立法「治安維持法」が1929年、緊急勅令で改定されたその第1条に「結社の目的遂行のためにする行為をなしたる者は2年以上の有期の懲役または禁錮に処す」とあるのを指す。

©iStock.com

 中澤俊輔「治安維持法」などによれば、結社に加入していない者が結社の存在とその目的を認識しつつ、指導者のもとで宣伝などの活動に従事することで、共産党の直接の指導下になくても、党の内情を知り、党のために目的遂行行為を行った者は処罰されるという。治安維持法改定時、死刑の導入などに比べてあまり注目されなかった条項だと同書は書いている。

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 靖子が「党技術部メンバー」とされているのは疑わしい。要するに「シンパ」として活動すれば摘発の対象になるということであり、靖子もシンパだったことを裏付けている。

「赤色層の清掃達成」

 11月20日午後9時。共産党関連の記事が解禁され、新聞各紙は一斉に号外を発行した。

解禁された共産党関係の検挙のニュース(東京朝日号外)

「共産党と全協 全貌暴露 學習院へ魔手 卅(30)余名檢擧さる 華族、富豪、名門の子弟等」(東朝)、「黨(党)關(関)係の全組織壊滅 『赤色層』の清掃を達成 外廓諸團(団)体を根こそぎ わが思想犯檢擧史上の異彩」(東日)、「戦慄の赤 全協を掃蕩 非常時下の産業破壊 檢擧實(実)に千七百名」(読売)。

 最も分かりやすい東日の本文を見よう。

「昨年10月の非常時共産党(いわゆる10.30事件)大検挙後、検察当局は時流に乗り、その残党並びに党の温床ともいうべき全協(日本労働組合全国協議会)の一斉検挙を行うこととなり、本年2月27日、新聞記事の掲載を禁止し、全国的に検挙を行い、警視庁管下のみで11月12日までに検挙したもの、全協関係1696名、党並びに青年同盟関係約2500名。そのうち、起訴された者、全協関係145名、その他244名という多数に上り、大体一段落をつけたので、20日午後5時をもって東京地方のみ記事差し止めを解除した。今回の検挙は、全協、党、青年同盟にとどまらず、シンパ関係に立つ華族の子弟、左翼弁護士、産業労働調査所、モップル、プロ文化連盟、赤旗印刷配布の機関、労農救援会、共青学生対策部などの、あらゆる外郭団体に向かって執拗に、かつ徹底的に加えられたため、共産党関係の各組織はほとんど壊滅し、一応清算された形となった」

 日本労働組合全国協議会は日本共産党の指導の下に1928年に創立された労働組合の全国組織。青年同盟は日本共産主義青年同盟のことで、国際共産主義青年同盟の日本支部として1923年に結成され、日本共産党の指導下で活動した非公然の青年組織。つまり、共産党の息のかかった組織はここでほぼ全て根絶やしにされたことになる。

絶大だった岩倉家のネームバリュー

 その中でも、やはり華族一族の検挙は大きな衝撃だった。華族は「皇室の藩屏(垣根=守るもの)」とされたのが、「天皇制打破」をうたう共産主義に走ったわけだからだ。特に岩倉家のネームバリューは絶大だった。