興行収入記録を塗り替え、社会現象になっているアニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を見ながら考えた。

 映画は大正時代の日本を舞台に、疾走する列車に乗った人々を鬼に変えようとする陰謀を「鬼殺隊」の竈門炭治郎らが阻止しようと立ち上がる。

 11月24日付読売文化欄で民俗学者・畑中章宏氏は「劇場版の鬼側の主人公である魘夢は、睡眠状態に陥らせた人々の無意識に侵入し、精神の核を破壊しようとする。フロイトの精神分析を踏まえた、極めて近代的な方法だ」と書いている。

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 しかし私は、この鬼を戦前の体制側から見た共産主義と捉えればピッタリだと感じた。もちろん作者や映画製作者らにそんな意図はないだろう。しかし、ひそかに少しずつ人々の内面に侵食して人間を変えてしまう魔物という意味で、これ以上適切な比喩はないように思える。

 今回のテーマは、その共産主義にひかれた1人の女性が検挙され、釈放直後に自ら命を絶った事件。それが世間を驚かせたのは、女性が明治維新の立役者であり、明治の元勲でのちに紙幣にもなる公爵・岩倉具視のひ孫だったからだ。彼女がその一員だった華族という存在も、いまや「それ何?」と言われるようになったかつての特権階級。そんな彼女はなぜそうした運命をたどらねばならなかったのか(今回も差別語が出てくる)。(全2回の1回目)

華族の子弟が次々と……

岩倉公爵の令妹 突如檢擧(検挙)さる 華冑界に未曾(曽)有の嵐

最近華冑界の子弟間に頻発している事件について、その教育を専任されている学習院当局では、責任の重大さに種々なる対策を講じているが、これがため同院の教授・馬場学生課長はついに辞職するに至った。しかるに事件の進展は底止することを知らず、皇室の藩屏をもって任ずる華族社会に非常な衝動を与えている際、これまた明治維新の元勲・岩倉具視卿の宗家たる渋谷区鉢山町10、従四位公爵・岩倉具榮氏(30)の令妹・靖子嬢(22)は数日前、突如所轄渋谷署に検挙され、公爵邸は右事件のために家宅捜索を受け、靖子嬢は引き続き留置、取り調べを受けている。さらに男爵・久我通保氏次男、学習院中等科出身・通武氏(24)も検挙され、その他にも同様3華族の子弟が検挙、取り調べを受けている(関係程度未詳のため特に秘す)。かくのごとく華族社会から多数の子弟が疾風的に検挙されたことは未曽有のことで、この時代の風潮に対し、同族間では極度に憂慮している。 

 1933年4月20日付報知新聞朝刊は社会面トップでこう報じた。華冑界とは華族のこと。「日本女子大に學(学)び 昨春中途で退學(学) 家庭にあつ(っ)た靖子孃(嬢)」の見出しの別項記事にはこうある。

岩倉靖子検挙を伝えた報知新聞

「岩倉公爵家は先代具張氏が大正3年隠居後、長男である当主具榮氏が襲爵。靖子嬢は具張氏の三女で、兄公爵の手元にあって成人し、昭和2年9月、女子学習院から日本女子大付属女学校の3年に転入学し、昭和5年4月、卒業と同時に同大学英文科に入学したが、家事の都合で昨年4月、中途退学し、公爵邸にあってひたすら家事見習いをしていたものである」。

 また「世間を騒がせて 申譯(訳)がない」という兄公爵の談話も載っている。「面会しましたが、すっかり自分を清算したいと言っておりますから、万一許されて帰ってきたならば、われわれ兄弟は心から力になって妹の行く末を考えてやりたいと思っています」。

 文中に「共産主義」や「左翼」の一語も登場しないのは奇妙だが、やはり華族という立場を意識したのだろうか。報知は「数日前」と書いているが、靖子について最も詳しい浅見雅男「公爵家の娘」によれば、検挙されたのは1カ月近く前の同年3月29日朝。