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 ここでも検挙の時期は違っている。さらに、浅見雅男「死をえらんだ公爵家の娘」(「反逆する華族」所収)によれば、この時点ではまだ靖子は転向していなかったから、萬朝報は誤報だったという。

毎日のように紙面を飾った検挙のニュース

 当時思想犯事件では新聞紙法によって頻繁に記事差し止めが行われていた。報知も萬朝報もたぶん特高か検察サイドから得た情報だろう。このころの新聞には毎日のように「赤化分子」「左翼学生」の検挙などのニュースが載っている。

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 靖子の名前は、6月23日付読売朝刊の「子爵嗣子と令弟 警視廳(庁)に檢擧(検挙)さる」という記事の中にも見える。「顕門を誇る華族の子女で検挙された者がこの春以来続出している」「検挙された子女の父母で公職を辞する者もあるなど、時代の波がこの特権社会を洗う脅威的現象として大きな衝動を与えていた」。そこへ新たに子爵の弟と子爵の長男が検挙され、「これで今春来、華族の子女で検挙された者は左記7名を加えて9名に達している。当局の検挙はこれをもって一段落の形である」とある。

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「左記7名」の中に靖子と萬朝報に載った山口貞雄、上村邦之丞のほか、靖子と深いつながりがある「前貴族院議員、東京市会議長、子爵・森俊成氏長男、帝大卒業、俊守(26)」「前貴族院議員、子爵・八條隆正氏次男、日本興業銀行勤務、隆孟(29)」もいた。

「何も申し上げられない。ただただ母に気の毒です」

 同様の記事は7月18日付の国民新聞(現東京新聞)朝刊も載せている。そして7月19日付東日朝刊には「岩倉公爵家に 春はそむく 令妹の『赤』ゆゑ(え)に」の見出しの具榮の写真入り囲み記事が載った。

「岩倉公爵家に春はそむく」という記事(東京日日)

「公卿華族の名門、岩倉公爵家は先代具張氏の放蕩から悲境に陥ったが、櫻子夫人の苦節10年報いられて、若き公爵の具榮氏(30)は昭和5年春、月給75円の宮内官(帝室林野局属)となり、けなげにも生活戦線に立ち、ひたすら『お家再興』への苦闘を続けていた」「それがこのほど令妹靖子さん(22)が突如『赤』で検挙されたので、若き公爵は兄としての責任を深く感じ、再興途上の意気むなしく辞表を提出し、ついに18日、宮内省退官の辞令が発令された」「公爵は『この際、何も申し上げられない。ただただ母(櫻子夫人)に気の毒です』と言っている。林野局の同僚連も非常に同情を寄せている」

 どうも、特権階級の不祥事には記者の筆も皮肉っぽくなるようだ。75円は2017年の貨幣価値で約14万5000円。先代・具張は、具視の次男で宮内大臣を務めた具定の子。千田稔「明治・大正・昭和華族事件録」によれば、具定の死後、爵位を継いだが、鉄道用地買収で失敗。芸者に貢ぐなどした結果、約300万円(2017年換算約90億円)の負債を背負った。さらに高利貸しや地面師も絡んで詐欺に引っ掛かり、訴訟を起こしたことで新聞沙汰に。結局「家政紊乱」の責任をとって1914年、10歳の具榮に家督を譲って隠居。芸者とともに行方不明になった。「放蕩」はこのことを指すのだろう。一家は屋敷を売って西郷家が所有する家に移って生活。具榮は東京帝大を卒業後、国民新聞が書いたように宮内省勤めを続けていた。