良くも悪くも制限が多い昨今。1990年代に放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『進め!電波少年』のように、少々無茶や冒険をするようなテレビ番組は影を潜め、相手を否定しない漫才や、芸人同士の仲の良さが人気にも繋がる時代になった。
音楽やダンスもそうだ。現在は数々のダンスボーカルグループが存在するが、メンバー間の息の合ったタイミングや一糸乱れぬダンス、そして常に安定したクオリティを見る側に提供している。
一方、「言うことなんか聞かないぜ!」「僕たちは自分たちの意志で踊るから!」「枠になんかはまらない!」と、まるで動物園から出てきた動物たちが、縦横無尽にパフォーマンスするかのようなダンスボーカルユニットがいたことを覚えているだろうか。
1989年にデビューした、日本のダンスシーンの先駆者・ZOOだ。彼らはインターネットやダンス教室もない時代にヒップホップを日本に浸透させた立役者。今だから語れる本音を元メンバーのNAOYAさんにうかがった。
ダンススクールの生徒が、JRの若手社員だった
―――ZOOと言えば、JR東日本のキャンペーン「JR ski ski」のCMが今もなお印象的です。「雪男。雪女。」や「冬眠しない動物たちへ。」というキャッチコピーもインパクトがありましたが、どんな経緯で始まったのでしょうか。
NAOYA ZOOは、デビューしてすぐに雑誌『Fine』に掲載されたり、早い段階でCDが出たりと、ジワジワと活動の幅を広げていました。
しかし、『DADA』(テレビ朝日系)に出演して巷では少し有名人くらいにはなったものの、ZOOとしての収入はまだまだ不安定。テレビ収録のギャラで生活できるほど余裕はなかったんです。
そのうちメンバーの一人が、食べていくためにダンススクールでも開こうと提案してくれて、一般の人向けにダンスを教えることに。そのときに、たまたま生徒として来ていたのがJRの若手社員でした。
それまでJRのCMと言えば、小泉今日子さんをはじめメジャーな人たちが主流でしたが、「JR ski ski」のキャンペーンを初めて打ち出すにあたって、「今回は趣向を変えて、これから世に出ていくような、イキのいい連中がいいんじゃないか?」という話が企画会議で上がったらしいんです。そこで若手たちからも意見を聞こうとなって、呼ばれた一人が僕らの教室に通っていてくれた人でした。彼が、「今はヒップホップとかダンスが若者で流行りだしていて、ZOOっていうグループがいます!」と、すごく頑張ってプレゼンしてくれたらしいんですね。そしたらあれよあれよと話が決まって。