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26年のモデルキャリアの原点はJJ

――高垣さんにとって「JJ」はどういう存在だったのでしょうか。

高垣 初めてモデルとして“プロ意識”を持った雑誌ですね。それまで呼んでいただいていたティーン誌「プチセブン」(小学館)での仕事はまだ学校の延長みたいな感覚もあった気がします。モデルがみんな10代だったこともあって、現場ではわいわい楽しく撮影して、ちょっとおいしいお菓子を食べて帰る、みたいな(笑)。

©文藝春秋

 その後「JJ」に移りました。19歳から23歳ぐらいまでお世話になりましたが、この時がモデルとして一番もまれた時期です。当時ご一緒した先輩方は憧れの方達ばっかりだったので緊張感は常にありましたし、刺激的でした。

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――撮影現場は厳しかったり、先輩が怖かったりしましたか?

高垣 うーん、私より上の世代は本当に厳しかったとも聞きましたが、私の時代はそんなことはありませんでした。先輩方は優しかったですね。ただ、結果を出さないと次は呼ばれないかもという緊張感はありました。

実際に掲載された服が売れないと次に繋がらない

――「結果」というのは?

高垣 私たちの仕事は服を着ておしまいじゃなくて、実際に掲載された服が売れないと次に繋がらないんです。だから雑誌が発売されたあと、編集部にどんな反響があったかなど気になってしょうがなくて。マネジャーさんや編集の方に聞いたりしていました。

©文藝春秋

 現場では笑ってポーズをとっていますが、結果を出さないと次につながらないという点では不安もありましたね。「『JJ』 にどうしても出たい!」というモデルがたくさん集まってくる雑誌ですから、私の替わりはいくらでもいるだろうなって。そんな風に感じるのは初めてでした。初めてダイエットしたのもこの時期です。

――すでに痩せてらっしゃったように思いますが……。

高垣 モデルは細ければ細いほどいいという時代だったんです。細いモデルさんと並んで撮影しますし、痩せなきゃ痩せなきゃってなって、20歳くらいの時に初めてダイエットしたんです。