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「誰にでも体を売るわけではありません」女性200人がいた伊香保で見えたコロナ後“色街のリアル”

日本色街彷徨 伊香保温泉#2

2021/01/01
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大学を出てバンコクのデパートで働いていた

 思えば、20年以上前に横浜にあった色街黄金町でタイ人娼婦の取材をはじめて、何人ものタイ人娼婦の部屋を訪れた。エーの部屋と同じようにパクチーや香辛料の匂いが染みついていたが、これまでの部屋とは決定的な違いがあった。

伊香保温泉の様子(2011年、豊川氏提供)

 エーの部屋には、仏像も国王や高僧の写真や絵、供物を捧げる祭壇もなく、宗教的なものは一切なかった。

「タイ人では珍しいかもしれないけど、あまり、宗教というものを信じないのよ。祈るよりは仕事をした方がいいかなと思います」

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 これまでタイ人娼婦と少なからず会ってきたが、宗教をあまり信じないという女性には初めて出会った。独特な人生観は、当然ながら歩んできた人生によって培われた。

 今年36歳になるという彼女は、色街にいたタイ人には珍しく、伊香保温泉のスナックにいたマリと同じように英語を話した。

「小学校に入るぐらいから働いていましたよ。最初は、村でお金を持っている人の牛の世話。畑仕事を手伝って、お小遣いをもらったり、村には中学を卒業したらバンコクやチェンマイに働きに行く子も多かったけど、私は勉強がしたかったから、残ったの。それで大学を卒業してからバンコクに行ったんです」

看板の無い店が「夢」だった場所だという(豊川氏提供)

 バンコクでは、デパートの従業員として働き、同僚と結婚し、今年6歳になる男の子を授かったという。しかし結婚生活はうまくいかなかった。

「夫の浮気がすごくて、毎日のように喧嘩になりました。その頃はよくお寺にも行きましたよ。夫が家族のことを思ってくれるように祈りました。それでもあの人は変わりませんでした。それで、離婚したんです。それから大げさではなくて、3年ぐらい毎日泣いていましたね。だって、夫のことが好きでしたし、離婚なんてしたくありませんでした。その時ふと思ったんです。何で神様は助けてくれないのかと。私の願いを叶えてくれなかったから、祈ることはやめてしまったんです。自分しか頼りにならないんだと思うようになったんです。それで、何もかも忘れられる土地に行きたいと思い、海外で働きたいと思ったんです。最初に韓国に行って、次に日本に来たんです」