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感染者数を伝えるだけでは意味がない? 岩田健太郎医師が語る“新型コロナ”報道の正しい受け止め方

『僕が「PCR」原理主義に反対する理由 幻想と欲望のコロナウイルス』より #1

2020/12/26
note

「安全」と「安心」の違いとは

 安全というのは危険を取り去ること、あるいは危険を低減させることです。「シートベルトをすれば交通事故死のリスクを減らせる」とか「外科手術をすればこの病気は治る」といった具合に、データと科学的根拠に基づいているのが安全です。

 安心とは、幻のようなものです。実在はしません。それは「安心したい」という願望にすぎない。新型コロナ対策において、大切なのは安全だけです。安心は無用であるだけでなく、時には有害ですらあります。

 たとえばマスクをつけたことで安心して、人との距離について無頓着になってしまったら、その安心は有害です。あるいは「安心したい」という理由だけでPCRを受けるのは、医療資源のムダ使いに他なりません。危機的状況があるときは、むしろ不安を持つべきでしょう。

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 もちろんパニックになってしまってはいけないけれど、安全が確保されるまでは警戒を解いてはいけない。感染者が増えているときは特に注意が必要で、たとえば「医療体制は逼迫していない」と聞いたからといって、絶対に安心してはいけない。

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 病院の空きベッドが多いからといって、みなさんの重症化リスクが減るわけではないのです。安心を求める人があまりに多いと、政治家は人気とりのために国民を安心させようとします。根拠のない、空疎な安心を。

 布マスクを配ったり、誰でももらえる「感染防止徹底宣言ステッカー」を発行したりするわけです。そうした税金のムダ使いを防ぐためにも、安心を求めないという心構えは広く共有されるべきです。

数字とは主観である

 新型コロナのニュースにかぎらず、メディアは「数」を細かく報じます。しかし、その意味が語られることは滅多にありません。たとえば内閣支持率です。「今回の調査では内閣支持率はXパーセントでした」というニュースが定期的に流れますが、たいていの場合、解説はありません。かりに内閣支持率が2ポイント上がったとして、それには何か具体的な理由があるのか。それとも単なる誤差範囲内にすぎないのか。解説をせずに内閣支持率だけをポンと示して終わりにするのは、数字の扱いがあまりに雑だと僕には感じられます。