客観的なデータとして数字を捉えるために必要なこと
「新型コロナの新規感染者は、今日は何人でした」
そうした形で数を伝えるニュースは2020年2月以降、毎日テレビで流れています。しかし、これも解説がセットになっているケースはあまり見かけません。
数字というのは主観です。
たとえば1000円のランチは高いのか、安いのか。それを決めるのは、それぞれの人の主観です。かりに東京都で100人の新規感染者が出たとして、100人というのは多いのか少ないのかという判断も、主観に左右されます。
ですから、一日の新規感染者数は解説とセットになっていなければ客観的データになりません。それはおおむね期待どおりの結果なのか。期待以上なのか、期待以下なのか。東京都の対策本部は「これから減少に転じる」と見ているのか、「今後さらに増える」と見ているのか。あるいは「どうなるのか、さっぱり分かりません」と言っているのか。
そうした読み解き(インタープリテーション)なしに数だけを報じるのは、「今日はカブトムシを何匹見つけました」という子どもの観察日記とあまり変わりません。
今日は東京で何人の感染者が出たとか、全国で何人の死亡者が出たとか、新型コロナに関するデータは日々いろいろ出てきます。
メディアの仕事は、いろいろあるデータを多角的に見て解説をすることです。「私は文系なのでデータ分析は無理です」とか「私は感染症の専門家ではありませんから、解説はできません」というジャーナリストがもしもいるとしたら、それは職務怠慢というもの。文系だろうが理系だろうが、ジャーナリストは取材対象について深く勉強しなければならないわけですから。
サイドストーリーよりも事実が大事
メディアは数字の扱いが雑だと思う一方で、ニュース原稿には情緒的な文章が多いと、僕には感じられます。これは新聞も雑誌も同じで、雰囲気は伝わるけれども、事実がよく分からない。情緒を伝える言葉は連なっているけれども、文章と文章のつながりがまるでデタラメな記事もよく見かけます。
2020年7月、永寿総合病院の院長が会見を開いたときも、情緒的な反応がいろいろありました。
「看護師や医者の手記を読んで、彼らのがんばりに心を打たれた」とか、「医療スタッフががんばるのは当たり前で、院内感染を美談にすりかえるな」とか、そんな話題をメディアはしばらく取り上げていました。