問題は“どう改善されたのか”
しかし、それはサイドストーリーです。メインではありません。
永寿総合病院で起きた院内感染では、入院患者の109人が新型コロナに感染し、そのうち、43人が亡くなりました。原因はどこにあったのか、問題はどう改善されたのか。着目しなければならないのはそこで、「院長は深く頭を下げた」とか「時折声を震わせ、涙を浮かべた」といったことは些末な話です。
サイドストーリーなんていらない、とまでは言いませんが、メインはあくまで事実です。
事実として一つ挙げておきたいのは、もともと医療機関には院内感染が起きるリスクがある、ということです。感染者を病院に入れるのですから、リスクはどうしても避けられません。リスクをゼロにする一番簡単な方法は、熱や咳といった症状のある人の受診をすべて断わることです。疑いがある人を一人も受け入れなければ、リスクはゼロにできる。
事実、発熱している患者さんをことごとく断わった病院はたくさんありました。それはある意味、医療の責任放棄です。永寿総合病院は責任を放棄せず、リスクを引き受けたわけで、院内感染が起きたこと自体は責められるべきではありません。ただし、平時からリスクの最小化をプランニングして、綿密な準備をしておく必要はあります。これは新型コロナにかぎらず、すべての感染症にあてはまることです。
情緒ではなく事実に向き合う大切さ
それから、かりに院内感染が起こったとしても、それは現場のスタッフの問題ではありません。システムの問題です。院内感染の発生をすぐに察知するシステム、感染拡大を抑えるためのシステムをよく点検して、どこにどんな問題があったのかを明らかにしなければいけないわけです。責任を個人に押しつけ、不備のあるシステムを放置してしまえば、いずれまた似たような形の院内感染が起こります。
院内感染には致し方ない要素があります。「致し方なかった」ではすまないレベルの院内感染もあります。永寿総合病院はそのどちらだったのか。これを明らかにするのはメディアの仕事でしょうが少なくとも僕が見た範囲ではメディアが力を入れて報じたのは「物語」でした。
「地元有志が『頑張れ、永寿病院』の横断幕を掲げた」とか、「未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着たスタッフもいた」といった情緒に訴えかける話はクローズアップされたけれども、肝心かなめの事実は今もまだよく分かりません。