そのような混乱が起きているときこそ、政治家の出番です。科学的知見に基づいた意思決定、国民に向けた明確なメッセージ、そしてリーダーシップが彼らに求められます。
しかし、どうでしょうか。現実をありのままに見るかぎり、それはあまり期待できそうにありません。むしろ「政治家には何も期待できない」という前提で物事を考えておいたほうがよさそうです。
集団免疫とは何か
その場合、まず知っておいてほしいのは、
「ワクチンを接種した人が多ければ多いほど、日本で暮らしている人全体の感染リスクを減らせる」
ということです。
自分が病気にならないためにワクチンを打つ。そういう人が増えれば増えるほど、ワクチンを打っていない人も病気にかかりにくくなるのです。これは「集団免疫」といわれるもので、たとえあなたが後回しにされたとしても、ワクチンを接種した人が増えるのは、あなたにとっていいことなのです。
一人でも多くの人にワクチンを打って、集団免疫を作っていく。そのときに最も大切なのはスピードです。「こういう人が優先的に接種できる」という基準をゆるやかにして、病院に来た人たちに片っ端から打っていくのが最善手で、「誰を優先するのか」という議論を延々と続けたり、接種の手順を厳密にしすぎたあげく、ワクチンの普及が遅れる、などということは絶対にやってはいけません。
厚労省によってつくられたワクチン接種の判断基準
2009年に新型インフルエンザの世界的流行が起きたとき、日本では数100万人の感染者と、約200人の死者が出ました。
あのとき厚労省は、ワクチン接種について厳密なクライテリア(判断基準)を作りました。そして「この条件を満たす人にワクチンを打ってください」「そうしないと不公平になります」と医療機関に呼びかけました。
その基準が妥当だったかといえば、まったくそんなことはありません。どこがどうおかしいのか、詳しく説明するのも馬鹿馬鹿しいので割愛しますが、僕はそのクライテリアをまるっきり無視しました。
あのとき配布されたワクチンは、あろうことか一つの容器に18人分が入っていました。容器を開けたら、ワクチンは24時間以内に使いきらないといけません。余ったら捨てるしかないわけです。
厚労省が作った厳密な条件を満たす人を選んでいたら、時間内に18人分を使いきるのは不可能でした。だから僕はクライテリアを無視して、病院に来た人たちに片っ端からワクチンを打ったのです。一人でも多くの人に免疫をつけるために。