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 感染第一波が終わったあと、指定医療機関ではベッドをわざと空けて、コロナ病棟をガラガラにしました。赤字を垂れ流しながらキャパシティを増やし、第二波に備えたのです。第二波が終息したあとも同じことが起こるでしょう。われわれは今、経済効率のいい医療とは一時的に決別しているわけです。

 こうした態勢は国の支援がなければ長続きしません。それは金額ベースで「いくら必要だ」という話ではなく、哲学の問題です。

医療は産業なのか国防なのか

 これまでどおり医療を産業のカテゴリーに入れておくのか。それとも消防や警察、国防のカテゴリーに入れるのか。新型コロナと共生する未来がもしもやって来たとき、われわれはこの問題と正面から向き合うことになります。

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 消防や警察、軍隊では経済効率は優先されません。たとえば消防行政であれば、「経済効率のいい消防」のために消防士や消防車を減らしたりしません。あるいは警察なら「犯罪が減っている」という理由で組織のスリム化が図られることもない。ムダを省く努力はもちろん求められるべきですが、いざというときに迅速に対応できないような「効率化」は本末転倒です。

 そうしたカテゴリーに医療を入れることになれば、医療崩壊のリスクは大幅に減らせます。しかしそのかわり、国民一人一人の負担は増える。増税はもちろんあるだろうし、これまでと同じ行政サービスが受けられなくなる恐れもあります。

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 ニューヨーク市で起きたような医療崩壊に直面したとき、僕たち医者は命の選択をすることになります。

 ICU(集中治療室)のベッドは埋まっています、人工呼吸器はあと一つしかありません、重症患者が二人やってきましたというときに「人工呼吸器をどちらに使うか」という決断を下さなければならないわけです。

 そうした悲劇が起こることを受け入れて、現状を維持するのか。国民の負担を増やして、医療のキャパシティを増やすのか。どちらも茨の道です。

 もちろんこれは悪い未来の具体像であって、僕の予想はまるっきり外れるかもしれません。しかし新型コロナが今後どうなろうとも、「効率のいい医療」をそのままにしておくことはできないと、僕は思うのです。