肺の病気を患って実家に戻った彼は、修と幼馴染みの朝倉世津(有村架純)と海辺への小旅行に出る。穏やかな笑顔を見せていた裕之だったが、明け方にふたりのもとを離れて海に身を投げようとする。慌てて浜へと引き上げる修に「怖いよ。でも……俺だけ死なんわけにはいかん」と慟哭しながら話す裕之。
自分よりも明るくてしっかりしていたはずの弟が、仲間たちが特攻で命を散らしていく恐怖と彼らになにもしてやれない悔恨を抱えていたことに戸惑う修だったが、同じように観ていたこちらも心が揺さぶられ、三浦さんの誕生日である今年の4月5日に発売された著書『日本製』のインタビューでの“憂い”を感じさせる言葉が重なった。
《俳優って、“人が優れる”とも書くというところから、優れた人がなるように言われることが多いように思います。でも、僕は本当にそうなのかなと思っていて。》
《昔から「いい人でいなければ」と必要以上に思い込んでいたかもしれません。「俳優というのは人として優れている人がやるものだ」「だってそうやって書くじゃないか」という言葉は、素敵な喩えだと思いながらも、「優れているって何?」と自問自答してきました。》
「そやな。いっぱい未来の話しよう!」
だが、それ以上に心に刺さった、いや心を抉ったのは、終盤の穏やかなシーンだ。帰隊を翌日に控えた夜。「兄貴、元気でな」「お前もな」と酒を酌み交わしながら別れを惜しむ修と裕之。
そこへ世津が現れ、兄弟の手を取りながら日本の今後のためにも修には学問に打ち込み、裕之には怪我をするなと話す。世津の言葉を受け、穏やかにも寂しげにも見える表情を浮かべて「そやな。いっぱい未来の話しよう!」と答える裕之。
『日本製』では《俳優はその人物……例えば歴史上誤ったことをしてしまった人物であっても、その人を演じることで、過去の過ちを繰り返させないように人々に思わせることが出来る》《絶望的な状況に思えても『その先には光がある』と希望を伝えることだって出来る》と俳優の使命と矜持、演技が生み出す力について語り、それらを抱えて《やっぱり前向きに生きていたいですもんね》と突き進んでいこうとしているのがわかる。