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巨人と違う横浜の「風」は新鮮だった

 巨人とは異なる、若く自由な風の吹くDeNAは、中井にとって新鮮そのものだった。結果を出さなければいけないといったメンタル的に切羽詰まった状態は緩和され、ゆるやかにチームに馴染んでいった。

「僕のような立場の人間は結果を出さなければいけないのですが、このチームで過ごすことで、結果ばかりにとらわれることなくリラックスしてプレーをすることができれば、自分のいいところが出せるのかなって思えるようになったんですよ」

 中井は入団してからの2シーズン、ほぼベンチに入り、半分近くのゲームに出場し、約2割5分の打率を残している。また右の代打としてはもちろん、怪我人などが出ればセカンド、ファースト、サード、または外野を守るユーティリティー性を発揮し、打順に関してもどこに入ろうが器用に対応している。決して目立つ存在ではないが、中井がいなければチームは苦しい編成を強いられたに違いない。

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「ありがたいことですね」

 今やチームの兄貴分として慕われる中井はしみじみした表情で言う。

巨人時代は好調を維持することができなかった ©文藝春秋

「失うものも、プライドもない、得るものしかない」

「トライアウトを経て入団しても、1年で終わってしまう選手も珍しくありません。だけど、今は求められて仕事ができています。ユニフォームを着られていることが自分にとっては幸せなことなんです。失うものはないというか、プライドもないし、得るものしかない。ジャイアンツ時代とは異なり、今は自分のなかに余裕ができたというか野球を楽しむといった感覚があるんです。戦力外通告を受け、ベイスターズに来たからこそ得られた感覚ですし、これからも結果も視野に入れバランスよくやっていきたいですね」

 求められることの大切さ――多くの選手にとって戦力外通告はプロ野球人生の終焉を意味するものであるが、こと中井にかぎっては、新たな野球人生の幕を開き、延いては野球観さえも変える最良のきっかけとなった。