「逃げ恥」は、逃げながら戦う物語である
国民的人気女優、新垣結衣によって演じられた「森山みくり」は、大学院まで進学したにも関わらず就職に失敗し、派遣社員となるも派遣切りにあい、家事代行から「契約結婚」を平匡と結ぶことになる。
ロスジェネや氷河期と言う時、人がイメージするのはネットカフェで寝泊まりする男性の姿だ。だが現実に不況が社会を直撃した時、その影響をより激しく受けたのは同世代の女子大学生であったことは統計が示している。大学院に進学し、物語の中のセリフからおそらくはフェミニズムや社会学にも触れたであろうにも関わらず、社会から経済的に疎外されてしまう森山みくりは、追い風の経済的フェミニズムに乗り損ねた「見えざるロスジェネ高学歴女性」の象徴だった。
フェミニズムの知識を持った女性が企業雇用からこぼれ落ちて「主婦」にならざるをえない時、主婦という存在そのものを職業として再解釈していく。それが「逃げ恥」という作品の中心にあるテーマだ。それは確かに、新しくもラディカルでもない。上野千鶴子の言う通り、半世紀以上前に出版された論文を読み直すような物語だ。
だが社会そのものが貧しく野蛮に逆行してしまった時、エンターテインメントはその中で翻弄される無数の平匡やみくりたちのために、「古い物語」をもう一度語り始めなくてはならない。
「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルの「逃げる」とは、経済的後退の中で生きることを強いられた世代にとってのフェミニズムの撤退戦、逃げながら戦う物語であることを示しているように思える。そして学問であれ物語であれ、そうした人々の役に立つものがいつの時代にも必要なのだ。
『逃げ恥』の底に流れる善意のトーンは何か
「逃げ恥」原作者の海野つなみは、LGBTという言葉が人口に膾炙するはるかに前から、社会のコードから外れたマイノリティたちを描いてきた作家だ。もうひとつの代表作である「回転銀河」という若者たちを描いた連作が、いくつも掲載誌を旅するように描き継がれてきた経緯を見れば、それが商業的には必ずしも利益の上がる方向性でなかったことはわかる。
作者にとって最大のヒットとなった『逃げ恥』は、マイノリティを描き続けてきた作家が、恋愛弱者の男性と就職弱者の女性という「マジョリティの中に生まれた弱者」を戦略的に主人公に設定し、マジョリティにリーチする、マイノリティとの間に橋を架けるようにして描かれた作品のように見える。